「喜望峰ー日本」
本郷毅史
目次
私は喜望峰から日本まで、自転車で旅をした。
アフリカの南端喜望峰を出発し、アフリカを縦断し、ヨーロッパを横断した。そして東へと走り続け、アジアを横断し、日本までたどり着いた。三年五ヶ月かけた長い旅となった。二十一歳で旅に出た私は、帰ってきたときには二十四歳になっていた。三十九カ国を旅し、四万五千キロ走っていた。
ずっと、強い力が私を前へ前へと突き動かしていた。どうしても出発しなければならないという強い想いに突き動かされて出発した旅だった。そして旅の間中ずっと、どうしても自転車で日本まで帰らなければならないと思っていた。あのとき私を喜望峰へ向かわせ、そして日本へと走らせたものは何だったのだろう。今でもときおり、あのとき私を満たし続けていた力のことを思い出す。あの日々の、ずっと流れの中にいたような感覚を思い出す。
出発前、喜望峰は私にとって「いちばん遠い場所」だった。そのような場所に、私はまず自分を置き去りにした。そして日本まで、自分の生まれ育った場所まで、自力で帰ってくることを自らに課した。それが私にとって、どうしてもやらなければならないことだった。
だれもが、ある原始の状態から出発し、その内なる自然の促しとその環境とに呼応しながら、最も困難で、それゆえもっとも自然で喜びも深い、おのずからなるひとつの道を歩み行く。私は喜望峰から日本へと自転車を漕いで旅することを通して、手さぐりしながら、そのような道を歩み行くことになった。
その旅の体験自体は私的なものにすぎないが、選択肢のない想いに突き動かされた行為は、その人が、その人自身へと歩んでいく、もっとも自然なものであるが故に、そのような自然の促しは、誰の内にもあるものだろう。
これからここに記す物語は、私の身に宿った自然の促しのこと。私が喜望峰から日本へと旅した道のりのこと。自転車を漕ぐという行為を通して立ち現れてきた世界のこと。ある、度し難い想いのままに歩を進めていったその軌跡のこと。