ジンバブエのハラレで二週間ほど滞在してから出発した。
 ハラレからムタレを経由しモザンビークへと入国する。そしてモザンビークを一週間ほどで駆け抜け、マラウイに入国する。地図にどんどん自転車で旅した線が引かれていった。自転車という乗り物は私にとってちょうどよかった。速すぎず、遅すぎず、停まりたければすぐに停まれるし、がんばればそれなりにスピードも出る。
 自転車で旅をしていると、ほんの一瞬の出会いと別れに何度も出会うことになる。一瞬、道ばたに立っている人と目が合い、挨拶をする。対向車が私に気づき、手を振ってくれる。自転車の旅は、そんな一瞬の出来事に満ちていた。
 そして、そのような一瞬の出来事が、あるとき深く心に残ったりした。なぜか、まるで写真のように、断片の記憶として、ずっと残っていくことがあった。例えばこんな光景を、私ははっきりと記憶している。

 ジンバブエの田舎の山道を走っているときのこと。厳しい道だった。上り坂ばかりが連続し、疲れ切っていた。いつまでこの坂が続くのかと少し苛立っていた。そして焦っていた。目的の町まで明るいうちにたどり着けるか微妙な時間になってきていたのだ。
 午後三時ぐらいだったと思う。ゆるい上り坂だった。女の子が前を歩いていた。六歳ぐらい、赤い服を着ていた。そして私に気づいて立ち止まった。私はゆっくり坂を上りながらハローとあいさつをした。その女の子もはにかんで答えてくれた。そして私が追い越すとき、女の子が握手をするような感じで手を出してきた。私は女の子の手を軽くポンとたたいた。女の子は恥ずかしそうに手を引っ込めて、とってもいい笑顔で笑った。私はバイバイと手を振ってまた坂を上っていった。

 たったそれだけの出来事を私はなぜか憶えている。この女の子と出会ってから、私は少し元気になっていた。焦りや苛立ちが収まって、なにか「旅をしている」という喜びを感じられていた。
 なんでもない、ふとした出来事の細部が、あるとき深く記憶に残ることがある。何気ないしぐさ、ふと聞こえてきた言葉、そして通り過ぎていった一陣の風にさえも心を打たれることがある。そのような細部には、独特な力がある。大きな出来事ではないけれど、そしてそれは、これといった意味もなく、気づこうとしなければすぐに忘れてしまうものだけれど、そのような細部は、私に、世界はほんとうは、このようにして成り立っているんだということを、教えてくれているように思えてならない。自転車による旅は、そのような一瞬の出会いに満ちていた。

 自転車旅の良さには、とてもローカルな体験ができるということもある。特に、民家に泊めさせてもらうという経験はかけがえのないものだった。
 モザンビークでは、連日のように民家の庭先にテントを張らせてもらった。夕方になり、暗くなってきたら、道端にある家々に注意しながら走った。そして挨拶をしてくれる人や道端で話している人に声を掛け、今晩の泊る場所を頼んだ。ほとんど言葉は通じないので身振り手振りになる。そして、まず間違いなく歓迎してくれた。

  ある日のこと。その日も道端にいたおじさんに声を掛け、民家の庭先にテントを張らせてもらえることになった。
 家はバナナ畑に囲まれるようにして建っていた。土の壁でできた家で、屋根は藁葺き、家の前はテニスコートぐらいの広さに土が踏み固められていた。私は庭の隅にテントを張らせてもらった。子供たちが六、七人、昼間放し飼いにしていたニワトリを捕まえるのに大騒ぎしている。そして次々と捕まえ小屋に入れていく。
 やがて日が沈み、庭の中心に火が焚かれた。太い木の先端部分を二本向かい合わせるようにして並べ、そのあいだに熾き火が溜まるようになっていた。私も手招きされ、父親と子供たちとで焚き火を囲んで座る。長男だろうか、一人すこしだけ英語を話せる男がいた。しかし、どこから来たどこへ行くといった簡単な質問に答えたらあとは話が尽きた。
 やがて女たちが食事を運んできた。とうもろこしの粉を練ったものと、何かの葉の煮物、そしてほんの少しの何かの肉。それらが皿に盛られてみなの前に置かれると、めいめい勝手に手に取って食べだした。私も勧められるままに手にとり食べた。質素としか言いようのない味だった。「おいしい」とおじさんに日本語で言いうなずくと、そうかそうかという顔をして、もっとどうだと勧めてくれた。ときおり焚き火がはぜる音がして、焚き火を囲む家族の顔がオレンジ色に照らされていた。もう辺りはすっかり暗くなり、いつの間にか満天の星空になっていた。
 食事が終わっても焚き火を囲みながらボソボソと会話が続いていた。十歳ぐらいの少年が焚き火の係のようだった。少年はときおり太い木を中心へ押したり、細い枝を入れたりした。細い枝を入れるとボッと火がつき、しばらくはみなの顔がオレンジ色に照らされた。オレンジ色の炎が消えて熾き火になると辺りはまた暗くなり、頭上に満天の星空が見えた。少年は手慣れた手つきで太い木をときおり動かし、ときおり細い枝を入れ、焚き火を一定の大きさに保っていた。会話が途切れると明るいうちはあれほど騒がしかった子供たちもみなじっと焚き火を見つめていた。私もまた静かに焚き火を見つめていた。ときおりまだ小さな赤ちゃんだけがぐずつき、母親があやしていた。背後の闇は濃く、背中にときおり寒さを感じたが、中心に火があることでいっとき私は旅行者であることを忘れていた。その家族は普段と変わらず火を囲んでいるようだった。そしてそれが私には何よりありがたく感じられた。毎日のように、満天の星空の下で、焚き火を囲んで食事をしている家族がいる、ということ。そのことを知れただけで私は本当に嬉しかった。やがて夜も更け眠くなってきたので、まだボソボソと会話が続いていたが、私はテントに戻って寝た。
 モザンビークでは連日のように民家にお世話になりながら駆け抜けた。毎日を生きるつつましい生活に触れることができた。そして、どこにでも生活があり、会話があり、想いがあることを知った。どこにでも人々は生きていた。そんな当たり前のことに触れながら、私はどんどん自転車を漕ぎ、旅を前へ前へと進めていった。

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