夜中にふと気配を感じ、ベッドから抜けだし窓から外を見る。雪が静かに降っていた。私は嬉しくなり窓を開けた。外の冷気が部屋の中になだれ込む。暖房が効きすぎて暑かった部屋が冷やされ心地いい。明日の朝道路はどうなっているのだろう。明日の天気はどうなのだろう。自転車の旅が困難になるだけなのに、私はやっと雪が降り始めたことが嬉しかった。

 イスタンブールを出発し、東に二十日間走ったら雪景色になった。私はトルコ東部の街エルズルムに着いた。日が射さない路地裏は凍っており、道路の脇には泥の付いた雪が積み上げられていた。雪は、明日エルズルムを出ようというときに降り出した。朝になると止んでおり、景色が一変していた。

 エルズルムを出て二日目、この日は前方に二千三百メートルの峠が控えていた。私は前日に泊めてもらったガソリンスタンドの人たちに礼を言い、朝早く出発した。天気は申し分ない。青空に白い雲、遠くの山々が雪をまとい白く輝いている。
 二十五キロ走り、分岐を右へ折れたところから上り坂が始まった。峠を越え、イラン国境へと向かう道だ。天気がいいからだろう、私は緩い上り坂が続く山道を気持ちよく登っていった。風が吹くとその冷たさが心地いい。峠を目指してゆっくり登りながら、やっぱり自転車で旅するのは楽しいなと思っていた。

 どれぐらい漕いでいたのか分からない。午後も遅くなり、いつしか青空は消えていた。峠はいつまで経っても現れない。そして風が強まりだした。太陽は西日になり、私は焦り出した。風が強まり、雪もちらつきだし、気温は急激に下がり始めた。
 できることならこのような寒さの中での野宿は避けたかった。かつての冬山登山の経験から、たとえ吹雪になろうとも野宿はできると思ったが、朝を迎えるためにどれだけ寒い思いをしなければならないかも予想できた。いま持っている装備ならば、震えながらも眠れるだろう。しかし夜に寒さで何度も目が覚めて、朝が来るのを待ちわびるのだろう。なるべくならそんな事態にはなりたくない。暖かい宿で、暖かい食事をとり、ベッドでぐっすり眠りたい。予定では峠を越えて一気に下り、次の町までたどり着くつもりでいた。しかし、それにしても峠が現れない。やがて暗くなりはじめ、夜が近づくのと合わせるように、雪と風がいよいよ強まっていった。

 そして気がつくと吹雪になっていた。風が横殴りになり、雪が舞い、視界が時折閉ざされる。顔面が痛くて風上を見ることができない。烈風は日が沈んでいくのと相まって恐怖すら感じさせる。大丈夫、焦ることはない。これぐらいならかつて冬山で何度も経験している。こんな風もこんな寒さも経験している。もし疲れたらここにテントを張ったっていいんだ。それぐらいの装備はある。落ち着くことだ…。言い聞かせ、前へ進む。
 横殴りの吹雪が強く、自転車に乗っていられなくなる。自転車から降りて、一歩一歩、歩く。もう車がヘッドライトを点灯させるまでに暗くなっている。足が滑らないよう、風でよろめかないよう、雪面に足を蹴り込みながら、一歩一歩、歩き続ける。機械のように正確に、秒針のように規則正しく、足を動かし続ける。
 やがて峠に着いた。そしてすぐに峠を後にした。ぐずぐずしてはいられない。もう道が判別できるぎりぎりの明るさだった。下りになり、上りで動かしていた体が冷え、私は本当の寒さを感じた。もう三十キロ先にある町にたどり着くことは不可能だった。疲れ果てて何もできなくなる前に、どこか野宿できそうな場所を見つけなければならない。そう思いながらも、いまいちテントを張る場所に踏ん切りがつかず、数キロほど下ったときであろうか、前方に灯かりが見えた。
 それは雪に埋もれた村だった。灯かりは村の窓から漏れていた。こんな山奥の、こんな吹雪の中に、人の暮らしがあることがとても不思議に感じられた。同時に助かったとも思った。泊めてもらおう。親切なトルコの人たちだ、きっと泊めてくれるだろう。

 村には、二、三十軒ほどの家が寄り添って建っていた。私がたどり着いたときに、ちょうど村の入り口付近にある家からおじさんが出てきた。おじさんはその家の使用人のようだった。私は身振りを交えて泊めて欲しいと伝えた。いきなり吹雪の中から自転車に乗った外国人が現れて、泊めてくれと言うのだから、驚かれてもおかしくはない。しかしおじさんはとても親切に、母屋の脇にある小屋の中へ入れてくれた。
 小屋の中には暖炉の火がついていた。入ると眼鏡が曇った。そして緊張がほどけ、私は安堵感に包まれた。中にはおじいさんがいた。手が痛くて動かなかったので、私はおじいさんに手伝ってもらって手袋をはずした。冷え切っていた手を握っておじいさんは驚き、私の手を何度もさすり、それから暖炉の火を大きくしてくれた。
 そうやって火に当たっていると、母屋からこの家の奥さんが来た。そしてにこにこしながらすぐに母屋に入りなさいと言ってくれた。

 母屋に入ると、部屋の真ん中で大きな薪ストーブが赤々と燃えていた。そしてお手伝いの女の子が素敵な笑顔でチャイの入ったグラスを渡してくれた。
 私はまだ震える手で受け取る。そしてゆっくり飲む。温かさが喉を通って体に広がっていく。女の子と目が合うと自然と笑っていた。「おいしい」と日本語で言うと、お手伝いの女の子もおばさんも笑って肯いた。
 それから私は立て続けに七、八杯もお代りをした。私はとても喉が渇いていて、チャイがおいしすぎて、チャイを入れるグラスがちいさすぎるのだ。女の子は飲んでいるときはじっと待っていて、なくなりかけるとすかさず首をかしげて、もう一杯? と聞いてくれる。うなずくと空になったグラスを受け取り、新しく入れてくれた。レモンも添えてくれた。それからしばらくして家の主人が帰ってきた。帰ってきたら見知らぬ外国人がいるのだから驚いて当然だと思うのだが、主人はまるで今日来ることを知っていたかのように歓迎してくれた。そしてまたチャイをいただき、一緒に食事もごちそうになった。
 使用人の小屋のベッドが一つ空いていたのでそこに寝かせてもらえた。サービスしてくれたのか、おじいさんがストーブの火をあんまり強くするものだから、私は寝袋に入っていられなくなり、仕舞いには汗までかきはじめた。
 窓の外は依然として吹雪いていた。さっきまではこの吹雪の中を緊張の糸を張りつめながら走っていたというのに、気がつくと暖かい家でチャイを飲み、食事をごちそうになって、ベッドで汗をかきながら寝ている。まったく私はしあわせな旅人だと思いながら、でもストーブの火はちょっと強すぎるよなと思っていた。あと三日も走ればイランだ。
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