イランの道端。単調で退屈な一本道。うす曇りの朝。出発して八キロの地点。
 ふと反対車線を見ると、カートを押して歩いている人がいる。うつむき加減に、西へ向かって黙々と歩いている。カートには荷物が満載されている。荷物の中にバックパックが見える。日に焼けているがどうも日本人に見える。もしや…
  こんにちは!
  自転車を停めて日本語で声を掛けてみた。
  おお、日本人か!
  日本語で返事が返ってきた。

  こうして曾根さんと道端でばったり出会った。彼は歩いて旅をしていた。どこから歩いてきたんですかと聞くと、台湾からですと答えた。
「沖縄から台湾に渡って、台湾から歩きはじめたんです。台湾を縦断してから香港に渡り、香港からバンコクまで歩いて、ミャンマーが陸路で越えられないからバングラデシュへ飛んで、そこからはずっと歩いています。」
 彼の言葉をたどりながら私は頭の中の世界地図に線を引いた。それから彼が押して歩いているカートと荷物を見て、やっと、そのとてつもなさに気がついた。
 声をかけてから三十分ぐらい立ち話をし、立ち話で別れてしまうのはあまりにももったいないと思い、その辺に座りませんかと誘った。そしてコンロを取り出し湯を沸かし、お茶を飲みながら道端に座って二、三時間話した。聞きたいことがありすぎた。
 時間はあっという間に経ち、良い旅を! と握手をして私たちは別れた。曾根さんはまた黙々と西へ向かって歩き出した。後ろ姿からしばらく目が離せなかった。それから私は呆然としながら東へ向けてペダルを漕ぎ出した。

  ここを歩いてきたんだ…
  自転車を漕ぎながら溜め息が漏れる。東へ向けて漕ぎ出すということはつまり、曾根さんが歩いてきた道を逆走するということだった。どうしてもその一歩一歩を想像してしまう。そのスピードを想像して気が遠くなる。この単調な道を? あの重たいカートを押して? 想像するだけでその労力の巨大さに圧倒される。
 テヘランから十六日目だと言っていた。十六日間連続で歩いているのだと言っていた。一日四十キロぐらい歩くのだと言っていた。きっと日の出から日没まで、ほとんど休まず歩いているのだろう。私にはどうやってこの単調な道を、十六日間も毎日歩き続けられるのか想像もつかない。この単調さにどうやって耐えるのか想像もつかない。いや、十六日間などではない。一年七カ月だ。曾根さんは台湾を出発してから一年七カ月になると言っていた。一年七ヶ月、あの重たいカートを押して歩き続けることを想像すると、途方に暮れるしかない。でも彼が歩いた距離を考えると、一年七ヶ月という期間は驚くほど短い。憑かれたようなスピードで歩き続けないと、この期間でこの距離は歩けない。
「始めはちょっと隣の町まで歩いてみようと思ったんです。歩いてみたら意外と歩けてしまって、次の町、また次の町と歩いているうちにいつのまにか徒歩で旅することになっていたんです」
 どうして徒歩で旅しているんですかと聞くと、曾根さんはこう答えた。しかし短期間だけ歩くならまだしも、一年七カ月もの長期間歩き続けることが「いつのまにか」できるとはとても思えない。中途半端な気持ちではとてもじゃないがこの距離は歩けない。この単調な道は歩けない。少なくとも私は歩けない。
 歩けない歩けないと思いながら、ふとスピードメーターを見ると、曾根さんと別れてからもう四十キロも走っていた。ついさっき別れたばかりだと思うのだが、時間を忘れ、曾根さんと交わした会話を反芻していたら、もう彼が歩く一日分を走っていた。彼は前日この辺のどこかで野宿したはずだった。一日中歩いてこれしか進めないなんて、やはりいくらなんでも遅すぎる。
 私は向かい風や上り坂のときに自転車を押しながら歩いたことを思い出していた。あのスピードを思い出しながら、徒歩で旅することがどういうことなのか想像しようとした。それから自転車のペダルを踏み込み、一気に数十メートル進んでみた。そして、歩くのと、自転車を漕ぐのとではやはり労力が違いすぎると思った。自転車なら下りは漕がなくても進んでくれるし、平坦な道も、踏み込めばしばらくは慣性で進んでくれる。下り坂も歩かないといけないなんて、足を止めるとすぐ止まってしまうなんて、徒歩はいくらなんでも大変すぎる。歩けない、やはりとてもじゃないが私は歩けないとまた思う。空は今にも雨が降り出しそうになっていた。相変わらず平坦で代わり映えのない景色が続いていた。

 曾根さんと別れてからずっと、どこかから言葉がこんこんと湧いてきて、私は自転車を漕いでいることを忘れていた。考えることに没頭し、ほとんど疲れを感じなかった。
「恥ずかしながら、実は初めての海外旅行なんです」と彼は言っていた。どこまで行くんですかと聞くと「行ける所まで」と言っていた。
 初めての海外旅行が、徒歩で、大陸を横断する旅だなんて、ほんとになんて人なんだろう。
 私は二年、曾根さんは一年七カ月、私たちはほぼ同じ期間旅をしていた。着ている服の色褪せ具合やバッグの汚れ具合が同じだった。私がアフリカやヨーロッパを旅している期間、彼はずっと歩いていたことになる。 
 いつでも徒歩の旅は辞められたはずだ。それなのに頑なに歩き続けているということは、やはり彼には徒歩という手段しかないのだろう。私が結局は自転車の旅を辞めないのと同じようなものなのだろう。黙々と何かをすることが好きな人なのかもしれない。淡々と繰り返すことに喜びを感じられる人なのかもしれない。その気持ちはよく分かる。私も黙々と同じことを繰り返すことが好きだ。
 私にとって自転車で旅することは、体力的には苦しいこともあるが、一番合っていると思っている。自転車で旅することが、結局は好きなのだ。だから長期間続けられる。だとしたら、やっぱり曾根さんも好きで歩いているのだろう。ものすごく大変そうだけど、案外楽しいのかもしれない。きっとそうなのだろう。
 走りながら、そんなことをずっと考えていた。こんこんと湧いては流れる言葉をそのままにして、考えることに没頭していると、自転車は勝手に進んでくれて、まるでバイクに乗っているかのようだった。

 曾根さんの歩いている姿を実際に見ることには、ある種の破壊力があった。徒歩で旅する人がいるということは知っていた。本で読んだことがあったし、旅行者から噂を聞いたこともあった。しかし、実際に出会うということには、想像以上の破壊力があった。
 長期の徒歩旅は、もし強制されたとしたら、ギリシャ神話に登場するシーシュポスが受けた罰のようなものだろう。神の怒りにふれたシーシュポスは、巨岩を山頂まで押し上げるという罰を受ける。必死になって押し上げた巨岩はしかし、山頂まであと一息というところで必ず転げ落ちてしまい、永遠にやり直し続けることになる。無限かと思われるほど続く道のりは、ともすればそんな徒労を連想させた。
 しかし、曾根さんは強制されたのではない。そして苦しみに耐え忍ぶような悲壮感も漂っていない。大変そうではあるが、なんというか、もっと楽しそうなのだ。もっと深い喜びの中にいるようなのだ。
 きっと曾根さんは、ただ自分にとって自然なことを、正直に、そしてとても強く希求し続けただけなのだろう。ただ自分の中の必然に素直に従ったら、長期の徒歩旅になったのだろう。きっと彼は、巨岩を押し上げるという運命を積極的に受け入れたシーシュポスなのだ。そのような困難な運命を受け入れた時に、同時に深い喜びもあるようだった。なんて自由に旅してるんだろう、なんていい旅をしているんだろう。
「前に、ある白人の旅行者に道端で出会ったときに、歩いて旅していることを言うと驚いて『ユーアー・クレイジー!』と言ったんですよ。でもそれからにやっと笑って『ユーアー・グッド・クレイジー』と言い直したんですよ。」
 そう曾根さんは話してくれた。歩いて大陸を横断したって、本当に何にもならない。ただ歩いて横断したというだけだ。とてつもない労力をつぎ込むのに、何の役にも立たないし、誰も助けないし、何の為にもならない。でも、その途方もない無意味さが、かえってなにかとても大切なことのような気がしてくるから不思議だ。グッド・クレイジー、本当に曾根さんにぴったりの言葉だ。
  
 その日は自転車を漕いでいることを忘れ、曾根さんと交わした会話を反芻するだけで一日が終わった。日没直後に町にたどり着き、それから夕立のような通り雨が降った。スピードメーターを確認すると百十キロ走っていた。彼の約三日分の距離だった。

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