曾根さんが十六日間かけて歩いた距離を、私は一週間かけて走り、テヘランにたどり着く。五泊してからエスファハーンに向けて出発する。
 出発してすぐ、自転車の調子が悪いことに気がついた。踏み込むとチェーンがギヤから外れ空回りしてしまう。どうやらギヤがすり減りすぎて、チェーンも伸び切っているようだ。変速機の回転する箇所もすり減りすぎている。
 ペダルを踏み込まないよう注意し、四日かけてどうにかエスファハーンにたどり着く。しかし自転車屋をまわったが欲しいパーツは見つからない。応急処置しかできず、仕方ないので、パキスタンのイスラマバードに日本からパーツを送ってもらうことにした。
 自転車の調子が悪いと気分よく旅ができなくなる。踏み込みたいときにペダルを踏み込むことができないと、エネルギーの行き場が阻害され、いらいらしてくる。そしてそのような気持ちのときには、なぜかその気持ちを増幅させるような出来事が起こる。雪だるまを転がすと大きくなっていくように、いらいらした気持ちは、不愉快な出来事を引き寄せてしまう。テヘランを出てから私の中には、そのようにして不愉快な気持ちが膨らんでいった。そしてエスファハーンを出てからはもう、何もかもが頭に来るという状態になっていた。そしてそんな気持ちのまま三日間走った時に、私はこの旅で二度目の強盗に遭うことになった。

 エスファハーンを出て三日目の夕方のこと。
 人気のない岩山が続いていた。日が傾き出し、そろそろどこに野宿するか考えなければならない頃だった。その日はもう百二十キロも走っていた。五キロ以上続く上り坂が二度あり、気温も高く、私はかなり疲れていた。連日の疲れがたまり、自転車の調子も悪く、私は最悪な気持ちのままどうにか我慢しながら走っていた。
 道は緩い上り坂になっていた。ふと前方を見ると、道端に髭の濃い大柄な男が立っていた。いやだな、という思いが一瞬よぎる。こんな場所に男が立っている理由がない。しかし私はそのまま前進した。引き返すのはあまりにも面倒だったのだ。もしかしたらヒッチハイクをしているだけかもしれないとも思った。少しだけ、来るなら来いという思いがあった。
 ゆっくり男に近づいていく。十メートルほど手前で少し手を挙げて挨拶をしてみたが、男はこちらを見ていない。私は念のためと思い、直前で道路の真ん中まではみ出して男を迂回した。
 横を通過する瞬間、突如男は突進してきた。やはり強盗だったと思ったのと体当たりされるのが同時だった。体当たりされ、突き飛ばされ、私は激しく転倒した。そしてすぐに立ち上がり、私は叫びながら男に向かっていった。
 次の瞬間、男のポケットからナイフが出てきた。ナイフが見えた瞬間に私は我に返り飛び退いた。数メートル後退し、にらみ合うように沈黙する。先ほどの激昂は消え去り、私は冷静になっていた。
 それから男はナイフで威嚇しながら、転倒した自転車にくくりつけてある荷物を奪おうとした。私は誰か来ないか、車が通りかからないかと前後を見回し、助けを求めて大声を出した。しかし人気はまったくない。男はしっかりパッキングされている荷物をどうやって自転車から取り外したらいいのか分からず、焦り、まごついている。それから荷物を取り外さず、自転車ごとすべて奪おうと倒れている自転車を引きずり出した。私は自転車の反対側を掴み、男と引っ張り合う格好になる。男はまたナイフをかざし威嚇する。私はまた自転車から離れ、数メートル逃げる。
 次に男はフロントバッグに狙いを定め、自転車にくくりつけてあるバッグの取っ手部分をナイフで切り裂こうとした。そのバッグの中には、日記や撮影済みのフイルムや出会った旅行者に書いてもらった住所録などの取り返しのつかないものがたくさんあった。私はどうしても指をくわえて見ていることができず、また大声を上げながら男に向かっていった。
 男は両手を使ってバッグを盗ろうとしていて隙だらけだった。私は自転車の後方にくくりつけてあるワイヤーキーを取り出し、頭めがけて振り下ろした。手に鈍い感触があった。男は頭を押えながら、ナイフでバッグの取っ手を切り裂いた。そしてバッグを掴んで引っ張った。しかしバッグはもう一カ所をゴムで自転車のキャリアにくくりつけてあったので取れない。私はワイヤーキーでさらに数回殴りつけた。しかし今度は手で防がれた。だが初めの一撃が効いたのか、男は何も盗らずに数メートル逃げた。
 どこに隠れていたのか、気がつくと男の後ろに少年がいた。男が少年のいる場所まで逃げたときに、少年は何か言いながら石を投げてきた。石は私を逸れ、それから男と少年は岩山の方へ逃げていった。
 男が逃げていったときに、数十メートル離れた岩陰に停まっていたバイクが急発進し、別の男が逃げていった。バッグを盗んだあと、あのバイクの後部座席に乗って逃げる段取りだったのだろう。どうやら待ち伏せされていたようだ。私は興奮しながらも奇妙な冷静さがあった。男に体当たりされた直後に殴り掛かろうとしたときは我を忘れていたが、ナイフを見た瞬間から冷静になり、恐怖も感じていなかった。

 恐怖は後からやってきた。もう日没までいくばくもない。強盗がまだその辺にいると思うととても野宿などできない。しかし次の町、ペルセポリスまではあと三十五キロもある。私は猛然と自転車を漕ぎ始めた。気がついたら手が震えていた。喉が痛くなっていた。まだ安全な場所にはいない。あのバイクで逃げていった男が追いかけてくるかもしれない。そう思うと、疲れ果てていたはずなのに自転車が漕げた。
 三十分ぐらい走ったときに、いきなり後輪の空気が音を立てて抜けだした。パンクだ。よりによってこんな時にと思ったが、すぐに気持ちを切り替え、自転車を停め、チューブを交換する。そしてまた漕ぎ出す。日没はとうに過ぎ、暗闇が迫っていた。
 追い風になっていた。どこにこれほどの力が残っていたのか、体中から力が湧き上がりまったく疲れない。一時間あまり、ずっと時速三十キロ以上で漕ぎ続き、やがてペルセポリスに着く。もう真っ暗になっていた。しかし、ホテルが見つからない。何処をどう探しても見つからない。困り果て、手当たり次第にホテルの場所を聞き回っていたら、ペルセポリスから少し離れた村の、ある家に泊めてもらえることになった。助かった…。

 次の日の午前中、ペルセポリスへ行き遺跡を見て回ったが、なにも感じられなかった。これからどうやって旅を続けるのかということばかり考えていた。今更ながら自転車の旅があまりにも無防備に思えて仕方がなかった。
 午後から走り出し、六十キロ先のシラーズを目指すが、道端にいる人がすべて強盗に見えてしまう。道端に立っている人を発見したら、まず強盗だと疑い、ぎりぎりまで近寄ってから急に反対車線の路肩まで大きく迂回した。遠くで反対車線に移ると、私が来るまでに反対車線へ移動できてしまうと思ったのだ。
 まだ強盗に襲われたときに発した自分の叫び声が耳に残っていた。まだワイヤーキーを振り下ろしたときの鈍い感触が手に残っていた。走りながら、何度も何度も怒りが込み上げてきた。そして湧き出てくる怒りのままに、あの髭の男を、頭の中で何度も殺していた。あらゆる残虐な方法で男を殺していた。ワイヤーキーで何度も頭を殴った。うめく無抵抗な男の腹部を蹴り上げた。男のナイフを奪い体に突き立てた。きりがなかった。思い返すたびに殺していた。
 それから、何度も昨日の行動を思い返していた。突き飛ばされた場面、殴り掛かろうとしたらナイフが出てきた場面、ワイヤーキーで殴った場面、男が逃げていった場面、それらの一つ一つが克明に思い出された。そしてつくづく運が良かったと思った。もしフロントバッグが盗られていたら、住所録を失い、日記を失い、カメラと何本かのフイルムを失うところだった。それらが盗られたときの悔しさを想像し、再びあの髭の男に怒りを感じ、何も盗られなかったことに安堵した。あの状況で、何も盗られず、転倒したときにできた擦り傷だけで済んだのだから、本当に運が良かったとしか言いようがない。
 しかし、何度思い返しても、どうしても納得できない場面があった。それは強盗に体当たりをされ転倒した瞬間に、反射的に立ち向かっていった場面だ。強盗へのとめどない怒りが過ぎ去ると、こんどはその場面ばかり思い出すようになった。
 どう考えてもあのような行動はとるべきではなかった。ナイフや銃が出てくることは十分にあり得ることで、そのことは自覚していたはずだった。ケープタウンで強盗にあってから、今度強盗に遭ったら抵抗しないと決めていたはずだった。強盗が欲しいのは私の命ではなくて、自転車や荷物なのだ。すべて渡せば命だけは見逃してくれるだろうと思っていた。とっさに抵抗しないよう繰り返し自分に言い聞かせていたつもりだった。
 しかし、突き飛ばされた瞬間私は、今こいつを殴っても誰にも文句を言われないという思いで、理性の蓋が取れていた。思考は停止し、真っ白な頭で殴り掛かろうとしていた。やっとまともな頭になったのはナイフを見た瞬間だった。ナイフを見た瞬間に、私は我に返り飛び退いたのだ。
 こだわってしまうのは、やはり突き飛ばされた直後の自身の凶暴さだった。あのような真っ白な光景を私は知らなかった。あのような自身の凶暴さを私は知らなかった。もしあの瞬間に私の手の中に銃があったなら、私は引き金を引いていたかもしれない。
 私は自分の理性の蓋の下に何があるのかを垣間見てしまったと思った。それは私にとって最も恐ろしいものに思われた。旅は自分の知らなかった一面を見せてくれることがある。そしてそれは往々にして今まで知らなかった自分の良い一面だ。しかしこのとき私が出会ったのは、知らなかった自分の、知りたくなかった一面だった。状況次第で自分はどこまでも暴力的になってしまう生き物なのだということを、私は黒いわだかまりのまま、認めない訳にはいかなかった。

 シラーズには夕方頃たどり着いた。泊った宿で以前エスファハーンで出会った日本人の自転車旅行者と再会した。私は一人で走ることは危険すぎると思っていたので、取っ手を切られたバッグを見せて、彼に一緒に走ることを持ちかけた。彼は快く申し出を受けてくれた。そうして私たちは酷暑のイランを二人で走り、パキスタンのラワールピンディーまで一緒に旅をした。
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