ラワールピンディーから再び一人になり、カラコルムハイウェイを北上する。カラコルムハイウェイはパキスタンから中国の新疆ウイグル自治区へと抜ける道。この道を通り、カラコルム山脈を越えて中国、そしてチベットへ、旅はいよいよハイライトへと向かっていた。
 自転車は受け取ったパーツを取り付け、万全の状態になっていた。ペダルを踏み込むと、その力が気持ちいい程タイヤに伝わる。これならこれからの道のりに十分対応できそうだ。
 これからの道のりを、私は長らく待っていた。トルコの吹雪の道のりも、イラン、パキスタンの酷暑の道のりも、カラコルムハイウェイ、そしてチベットへ向けての体を作るためだという意識があった。足元には、ポルトガルのロカ岬から一切途切れることなく続いている一本の線があった。
 私はトルコの吹雪の道を走っているころから、まだ線は切れていないのだと意識しだした。そしていつしか、ユーラシア大陸は自転車で完全に横断してやろうという野心をいだくようになっていた。アフリカ大陸は所々で線が切れてしまったので、ユーラシア大陸はすべて自転車で線を繋げたいと思っていた。そう思うことで長い上り坂にも耐えていた。今まで何度も、上り坂を押して歩いているときなどに、親切なトラックの運転手が停まってくれて、乗っていかないかと声をかけてくれることがあった。しかし私はその度ごとに丁寧に断ってきた。一度でも乗ってしまうと、きっと際限なく乗ってしまうことになり、自転車で旅していることにならないと思っていたからだ。そうやって大切に、かたくなに引いてきたロカ岬からの線は、つらい上り坂を耐える精神的な支えになっていた。いまだ途切れることなく続いているという喜びを感じながら、私はヒマラヤの奥へとゆっくり線を延ばしていった。

 インダス川がえぐった深い谷へと入っていく。断崖をくり貫いて道が作られ、遥か下方にインダスの濁った流れが見える。厳しい上り下りが続く。急ぐことはないのだと言い聞かせ、ゆっくり、じりじりと距離を稼ぐ。山脈の奥へ奥へと駒を進める。徐々に標高が高くなっていく。
 ラワールピンディーから二週間あまり走り、カリマバードに着く。ウルタル、ラカポシ、ディランなどの七千メートル峰が目の前にある村だ。これから怒涛の日々が始まる。旅の核心部が始まる。そう思いながら高峰を眺め休養する。
 カリマバードを出たら一気に山が近づいてくる。道はいよいよ切り立った崖っぷちをえぐり、眼下に細く一本の川が流れている。ときおり現れる山間の村では、村人が畑仕事の手を休めこちらに手を振ってくれる。絶景の山道を走りながら幸福感が込み上げてくる。

 パキスタン側のイミグレーションがあるスストを出ると、峠への本格的な上り坂が始まった。標高が上がるにつれて空気も薄くなっていき、すぐに息が切れるようになっていった。
 二日間かけて厳しい上り坂を走り、昼過ぎにフンジュラーブ峠にたどり着く。峠の空は晴れわたっていた。標高四千七百三十メートル、カラコルムハイウェイの最高所、パキスタンと中国の国境だ。
 私は嬉しくて仕方なかった。空がこれほど深い青になることをはじめて知った。しかし、旅する日常において、次に何が起こるのかはいつもいつも計り知れない。次は中国だと峠を後にしてすぐに事は起こった。
 峠を数百メートル下ると、中国側の公安の検問があった。遮断機があり、道端に公安の詰め所があり、そこで停められパスポートの提示を求められた。パスポートを渡し、チェックを受け、返してもらうときに、若い公安の役人が、ここから百二十キロ先のタシュクルガンまでは自転車で走ってはいけないと言った。バスに乗りなさいと言った。
 はじめは意味がよく分からなかった。一カ月前に友人がこの道を走ったとメールで知らせてくれていたので、当然自転車で走れるものと思っていた。そして暗に賄賂を要求しているのだと思った。しかし、若い役人は交渉を受け付ける表情をしていない。中国語が分からないので、たまたま居合わせたバスの運転手に通訳になってもらったが、まったく取り合ってくれない。一カ月前友人が自転車で走ったと言っても、「ルールが変わった」と繰り返す。若い役人ではだめだと思い、後ろの方にいた上司らしき人物に訴えたが、めんどくさそうに首を振るだけだった。バスの運転手が伝えてくれるには、昨日も六時間粘った自転車旅行者が三人いたが、結局はバスに乗ったという。段々事の重大さが分かり始めてきた。
 絶対にこんな所で線が切れるわけにはいかない。この線は、一年以上かけて大切に引いてきた、ユーラシア大陸完全横断の線なのだ。膨大すぎるほどの労力を費やして引いてきた線なのだ。私は必死に食い下がった。ポルトガルのロカ岬から走ってきたということ、どうしてもユーラシア大陸を途切れることなく走りたいのだということを説明した。そして地図を取り出して走ってきた行程を示し、頭を下げて走らせて欲しいとお願いした。たまたま居合わせたオランダ人の旅行者も私に加勢してくれて、丁寧に役人に説明してくれた。しかし、目の前の若い役人は、交渉を受け付けない。線が切れるかもしれない、そんな最も怖れていたことが起ころうとしていた。
 何度もお願いしていると、やがて若い役人は怒りだした。そしてパスポートをもう一度出せと命令してきた。しかし渡すわけにはいかない。渡してしまうとバスに乗らない限り返さないと言うのは目に見えている。拒み続け、押し問答になり、胸を突き飛ばされる。そしてバスに乗るか、パキスタンに戻るかどちらかだと怒鳴られる。ちょうどそこに停まっていたバスが今日の最終便で、あれに乗らなければパキスタンに戻れと言われる。一瞬こんなことならパキスタンに戻ってしまおうかと思ったが、戻ってしまったら憧れ続けたチベットに行けなくなる。バスの運転手もタダにするから乗れと言ってくる。私の交渉のために大幅にバスの乗客を待たせてしまっている。選択肢がない。

 バスに乗るために自転車から荷物を取り外していると、突然全身の力がなくなっていった。持っていた荷物を落とし、うずくまりしばらくこらえていたが、やがて涙が溢れてきた。標高が高いため空気が薄く、急に息ができなくなり、身体がしびれ、視界が白くなる。このままでは気を失うと思い、握った手を道路に押し付け、無理矢理何度か息を吸い込む。
 それから立ち上がり、荷物を自転車から外した後、フロントバッグだけ抱えてバスに乗り込む。荷物と自転車がちゃんと荷台に乗せられたのか確認できない。同乗していたドイツ人の旅行者が、心配するな荷物はちゃんと載ったと知らせてくれた。
 上りだけ走り、下りはバスなんて冗談にもならない。悔しさは波のように次々に覆い被さり、私は泣き止むことができなかった。手を強く握り、爪を手のひらに食い込ませ、自分でも信じられないぐらい長い時間泣いていた。一体今までの「線をつなげる」ということに費やした時間と労力はなんだったのか。トルコ東部の猛吹雪の中越えた峠、イラン、パキスタンの酷暑の中走った道。それに費やした情熱はなんだったのか。ナイフ強盗のあと自転車で旅をするのは危険すぎると思い、それでも続けたのだ。あの葛藤はなんだったのか。無数に越えた峠、それに費やした膨大な労力、それがこんなところで、こんな理由で一瞬にして無に帰したのだと思い、一つ一つの光景がフラッシュバックのように思い浮かび、そのたびごとに爪を手のひらに食い込ませて泣いていた。本来なら自転車で一気に走り下った坂道なのだと思うと悔しくて仕方がなく、窓からの景色を見ることができなかった。ずっとうつむいたまま長い下り坂が続いていることを感じていた。

 イミグレーションがあるタシュクルガンで一泊し、次の日からまた自転車を漕ぎ出した。しかし朝から胃が締め付けるように痛く、吐き気がしていた。緩い上り坂が続き、弱い向かい風も吹いていた。ときおり細かい雨が降った。線が切れてしまったことで張りつめていたものも切れ、身体が重く、自転車が今までのようには漕げなくなっていた。
 そして私は、自転車旅はもういいのかもしれないと思っていた。とにかくあと二百数十キロ走り、カシュガルまでは漕ぐが、そこでその後のことを考えようと思った。このような状態でチベットが走れるとはとても思えなかった。私は自転車旅を続ける自信を失っていた。胃が一日中切れるように痛かった。

 しかし、タシュクルガンを出て一日走り、道端で野宿してから次の日また走っていると、呆れるほど単純に、やはり自転車の旅はいいと思えていた。
 道端に民族衣装を着た女の子が立っている。ムスターグアタの緩やかな山容が見える。川沿いの湿地帯でヤクが草を食んでいる。川の水が陽の光を反射しながら穏やかに流れている。
 そんな光景がなぜか以前よりも鮮やかに目に入ってきた。そして、そんな光景を見ながら走っていると、線をつなげることがなぜあれほど大切だったのか、なぜあんなに悔しくて泣いていたのか、うまく思い出せなかった。
 ただこうやって自転車を漕いでいることが楽しかった。何か重い荷を下ろしたかのような開放感があった。ゆっくりと光景を眺めながら走っていると、ふと、もう一つ自由になれたのではないかと思えてきた。
 雨が降ってきたので民家に雨宿りさせてもらいパンを売ってもらう。道端にあったレストランでウイグル料理のラグメンを食べる。苦労して峠にたどり着くと視界が開け湖が現れる。風が吹き抜け汗が冷やされる。沈んでいく夕日が美しい。
 それが自転車で旅をするということだった。ロカ岬からの線が切れても、旅は損なわれてなどいなかった。それどころか、なぜか自転車で旅をすることがいよいよ楽しくなっていた。
 タシュクルガンから四日走り、カラコルムハイウェイの終点カシュガルに着く。もう私の頭の中は、チベットのことでいっぱいだった。
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