モーリタニアの首都ヌアクショットを出発する。そこから、起伏のない水平な砂礫地帯に延びる、数百キロにも及ぶ一直線の道路が始まった。木や草もほとんどない乾燥した大地に、完成したばかりの舗装路が、飛行機の滑走路のように真っ直ぐ伸びていた。
 そして、遮るものが何もないからだろうか、左前方から常に、暴力的なまでの烈風が吹いていた。その風は、いままでの風に対する認識を一変させるほどの凄まじいものだった。砂が舞い上がり、常に口の中に異物感がある。太陽が強く、一日が太陽に支配されている。すべてが乾燥し、やたら喉が渇く。野宿を繰り返しながら、烈風と太陽に抗いつつ従い、単調な景色に付き合い、朝から晩まで前進する。

 ある朝テントから顔を出すと、今日もちょうど太陽が地平線から昇ってくるところだった。出発の準備をし、八時頃自転車にまたがる。昨日とまったく変わらない景色。道路が一直線に地平線まで続き、左前方から烈風が吹いている。私は風が弱まっていないことに落胆しながら自転車を漕ぎだした。
 風は一定の強さで吹いているのではなかった。強くなったり弱くなったりし、そしてときおり自転車が横倒しにされるほどの突風が吹いた。向かい風は本当にやりきれなかった。風は自分の意志や願いとは無関係に吹いた。祈っても、願っても、怒っても、まったく無関係に吹いたり止んだりした。
 やがて上り坂でもないのに、風が強すぎて自転車に乗っていられなくなった。諦めて自転車を押して歩くことにする。地平線まで続いている道を、時速二、三キロで歩く。見渡す限り何もない、誰もいない、水平な荒野を、必死の形相で歩く。

 時計を見ると正午になっていた。
 太陽の光があまりに強烈で、体力の消耗が激しすぎるので、わずかな木陰を見つけ、そこでしばらく休憩する。私は本当は水をそのまま飲みたかった。しかしそのまま飲むと抑制が効かなくなり、ボトルにあるだけ全部飲んでしまう。そしてすぐに汗になり蒸発してしまい、いくら水があっても足りなくなる。紅茶にして飲むのが一番効率がよかった。
 コンロに火を点け、水を沸かし、紅茶を一リットルほど作る。そして粉ミルクと砂糖を溶け切らずに底に残るほど大量に入れ、ゆっくり飲む。
 体が糖分を異常なほど欲していた。紅茶はもはやシロップと言ってもいいほど大量の砂糖を溶かしていたが、それでも糖分は足りなかった。
 紅茶を飲み干したあと、砂糖をそのまま大さじで何杯も食べる。それからビスケットを数枚食べ、木陰に横になる。ハエがうるさいので顔に手ぬぐいをかけ、二三時間昼寝した。
 目が覚めたら再び自転車にまたがる。まだ十分太陽は強烈だが、正午ごろと比べると幾分凌ぎやすくなっていた。しかし風は一向に衰えていない。向かい風が強すぎて転倒しそうになるので、やがてまた自転車から降りて押して歩くことになった。自分の足元を見ながら黙々と歩いた。

 そしてあるときふと立ち止まり顔をあげると、見渡す限り道路以外何もなくなっていた。それまでは遠くに木や茂みがあったのだが、気づくと地平線の彼方まで、木も、草の茂みも、わずかな起伏さえなくなっていた。どこまでも水平だった。どこを見ても地平線しかなかった。あまりにも非現実的な光景だった。
 自転車のスピードメーターは時速三キロ以下は計測してくれない。だから歩いているときはいつも時速はゼロを示している。向かい風が激しく前を向いていられないので、ただただ地面を見て、足元を見て、自分が確かに前へ進んでいるのだと確かめながら歩く。しかし、周りの景色は何一つ変化しない。本当に前へ進んでいるのだろうか? 確かにこの道を行けば目的の町にたどり着けるのだろうか? そんな疑問も感じたが、やがてまた目を足元に向け、黙々と歩き出す。
 歩きながら私は、これはすごいなと思っていた。向かい風に押し戻されそうになりながら歩いていると、自分があまりにも些細な存在に思えた。私は広大な光景の中の単なる小さな突起物だった。よく目を凝らさないと見分けがつかない、大地の一部分の、ごくわずかな突起物。そんな極小の突起物が、よく見るとちょこまかと動いている。不思議と、歩きながら自分をそのように想うことに救われた。自分を石ほどの些細なものに感じつつ、ただひたすらになりながら、単調な道に付き合う。

 太陽は、痛いほど強烈に照りつけていた。私は喉の渇きに耐えつつ歩きながら、水を好きなだけ飲めたらどれだけ幸せだろうかと思っていた。命は、皮膚の内側の水分だと思われた。世界と私は、皮膚一枚で隔てられていて、内側の水分のある場所が「私」なのだと思った。この感覚は、厳冬期の冬山での経験に似ていた。出発前に冬山登山にのめり込んでいた頃、私は一人、猛吹雪の中で一日中テントに閉じ込められ、シュラフにくるまって震えながら、皮膚一枚隔てて内側のあたたかいところが命なのだと思っていた。外はマイナス二十度を下回るほどになっていたが、皮膚の内側はあたたかく、その内側のあたたかい場所が「私」なのだと思っていた。あの猛吹雪の中と、この強烈な太陽の下では、真逆の環境だが、同じようなことを思うのは面白い。
 また私は、風に抗いつつ歩きながら、太陽の光が私を溶かすことを想像していた。太陽の光にアイスクリームのように溶かされ、どろどろになって大地に溶け込んでゆく様を想像していた。
 光で思い出すのはタンザニアで見た夢だ。あの夢は、太陽のような光に吸い込まれ、光の塊に溶け込んだ夢だった。歩きながら私は、あのとき感じた圧倒的な幸福感を思い出していた。あのときの夢を思い出しながら、歩きながら感じる心の姿勢を思った。
 確かに、強烈な太陽の下、風の中を歩いているときにもある種の幸福感があった。自分があまりにも些細な存在だと感じることには、ある種の快感が伴っていた。しかし、常にどこかで「満ち足りない、満ち足りない」と思っている私には、そのような幸福感は刹那でしか現れなかった。

 ようやく、遠くに起伏が現れた。地平線しか見えなかった光景の中、その起伏はよい目印になった。ゆっくり前進を続け、やがてその小山のような起伏が道のすぐ脇に来た時に、私は嬉しくなって自転車を道ばたに置いて、その小山に駆け上った。数十メートルほどの小山を一気に駆け上り、振り返ると、一直線の道が、乾燥した砂漠地帯を定規で引いたかのように横切っている。道ばたには、先ほど置いた自転車が米粒のように小さく見える。こんなところを漕いでいたんだ、と私は思った。目の前の、あまりに広大な光景の中、ちいさなちいさな自転車が、ゆっくりと動いている様子を私は想像した。それはつい先ほどまでの私の姿だ。一人の青年が、黙々と、自転車を押して歩いている。時おり強風にあおられてよろめく。疲れ切ったのか、青年は道ばたに自転車を放り出して横たわる。しばらくじっとしていたが、やがてまた立ち上がり、動き出す。よく見ないと動いているのかどうかさえ分からないほどゆっくりと、でも着実に彼は動いている。彼にどんな理由があるのか、彼がどんな想いでこんな場所を漕いでいるのかは分からない。
 私は私を、地面にへばりついた小さな突起物だと思い、そう思い込むことで前進してきたが、そうやって進んできた道が、遥か彼方まで見渡すことができた。よくこんなところを、アリのように進んできたな。
 小山を下る。小山を下りながら私は、結局のところ太陽なのだ、と思った。私をこのように動かしている、そのエネルギーの元は、結局のところ、太陽なのだ。エネルギーは様々に形を変えて、やがて私に取り込まれているが、元を正せば、太陽のエネルギーになる。なぜこんなことをしているのかは私だって分からない。分からないけど、でも結局のところ、私を動かしているものは、太陽なのだと思った。太陽なのだから、仕方がないと思った。

 やがて空が赤く染まりだした。
 私は自転車を停めて振り返った。赤茶けた荒野の真ん中に、赤い太陽が沈んでいった。私は呆然と立ち尽くし太陽を見送っていた。一日、その圧倒的なエネルギーを誇示し、執拗に、容赦なく地上を支配していた太陽が沈む様は、王の退室を思わせた。私は立ち尽くし、風も、疲労も忘れていた。時刻も立っている場所も喉の渇きも忘れていた。そして、実際には風の音しかないのに、忘我の中で大音響の音楽を聴いている気がしていた。
 日が沈むと寝る場所を探しながら走った。やがて、草木の陰で風が遮られるような場所を見つけ、マットを敷く。砂漠地帯に入ってから私はテントを張らなくなっていた。雨は降るわけがなく、ここまで乾燥してくると蚊もいない。張る意味はあまりなかった。
 夕食を簡単に済ませ、一日中酷使した体を横にする。頭上には満天の星空が輝いている。私は眠りに落ちるまで星空を見ていた。

 烈風の中を行く直線道路が数日続き、ようやく私は小さな村にたどり着いた。水はボトルにわずか一口分しか残っていなかった。まずは何も考えずに缶コーラを一本飲む。シャワーを浴び、レストランへ行き、ご飯と共に缶コーラを二本飲む。宿に戻ってきて缶ジュース二本、缶コーラ一本飲む。合計六本も飲んでいた。まだまだ飲めたが、お金がもったいないので水を飲んだ。コーラのあとではあれほど貴重でおいしかった水が味気なく思えた。
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