水平な砂礫地帯を走りアタールに着く。そこですこし休んだあと、さらにサハラの奥へと八十キロほど食い込んでいる未舗装路をたどり、シンゲッティに着いた。
 シンゲッティは、砂漠の只中にあるオアシスの村だった。所々に井戸があり、その周りにはナツメヤシの木が生い茂っていたが、井戸を少し離れると緑はなかった。
 宿の主人に明日から何日間かサハラ砂漠を歩きたいと言うと、ラクダ使いのおじさんモハメッドさんとラクダを一頭手配してくれた。自転車や不要な荷物は宿に預けた。そうして私は三日間、モハメッドさんとラクダとでサハラ砂漠を歩いたのだった。

 朝八時に村を出た。村を出て、裏側に廻り少し歩くと、砂丘が見渡す限り連なっていた。
 このときの驚きを私は今でもはっきりと覚えている。砂丘が、私の予想を遥かに超える規模で連なっていた。どこを見ても砂に取り囲まれていた。じっと顔を近づけると、繊細な砂紋があった。少し顔を起こすと砂丘があった。その砂丘が何百、何千と連なり、砂丘群があたかも山脈を形成するかのように、どこまでも連なっていた。
 その砂丘の連なりを縫うように、私はモハメッドさんと歩いた。ラクダに荷物を載せ、モハメッドさんがラクダを引いて歩いた。私はモハメッドさんを見失わないようにしつつ、砂丘に駆け上がり、駆け下り、また別の砂丘に駆け上がり、とてつもなく広大な砂丘の連なりに驚きを隠せなかった。
 風が砂丘に沿って吹き抜けた。砂が細かく舞い、砂丘の表面を覆う砂紋が揺れていた。砂紋もまた、どの砂丘のどの部分にもあった。覗き込んで見てみると、この地平まで続いている砂丘群の広がりの中にあって、愛おしいまでに繊細な砂紋が、すべての砂丘の表面を覆っていた。
 この砂丘と砂紋の光景は私を深く捉えた。私はこんなに美しい光景を見たことがないと思った。砂紋も、砂丘も、どれも二度とない形をしていた。風が作った途方もなく巨大な彫刻だった。私は砂丘の周りを駆け回りつつ、途方に暮れてしまった。砂の一粒一粒が集まって一つの砂丘ができていた。一つの砂丘がいくつも重なり合い、巨大なうねりを作り出していた。その砂丘群の上に立つと、遥か彼方まで凄まじい質量を感じさせ、目眩がした。私は感嘆の言葉をつぶやきつつ、砂丘の織りなす曲線の中を進んでいった。砂紋を踏みつけながら、奥へ奥へとへ進んでいった。
 村を出て砂丘群を通過し、正午にオアシスに着いた。昼食を作り、木陰で昼寝をした。井戸から水を汲んで大きなボトルに詰め、四時過ぎにオアシスを出た。二時間ほど歩き、夕方砂漠の真ん中で野宿することになった。モハメッドさんが手際よく焚き火を起こしてくれて、夕食も作ってくれた。砂の上に毛布を敷き、その上が今晩の寝場所となった。

 二日目もまた一日中砂丘群の中を歩く。
 昼過ぎに砂丘が何千と集まって形成された上り坂を登り切り、峠から見下ろす。そして昨日と同じく途方に暮れる。なんという、なんという砂丘群だろう。なんという曲線、なんという連なりだろう。
 私は砂丘群を、苦しくなるほど見とれていた。曲線の一つ一つが心を掴んでいった。じっと見つめていると、どこまでも続く砂丘のその一つ一つが覆いかぶさってくるかのように感じられ、酔ったような目眩と吐き気を覚えた。
 峠を降り、平坦な道を歩く。砂丘の向こうから、男とラクダが十数頭歩いてきた。男はラクダを放牧していた。砂漠の真っ只中にあってもどういうわけか草はいくらかあった。それらをラクダに食べさせながら歩かせていた。男はモハメッドさんと知り合いらしく、立ち話をしてからまたどこかへ行ってしまった。
 さらに歩いていると女ばかりの集団がロバやラクダを放牧していた。彼女たちもモハメッドさんの知り合いらしかった。身振りでこれをあげると言ってきたので受け取って見てみると、小さな水晶だった。薬を欲しがったので持っていたものをいくつかあげた。
 少し平坦になっている場所で、モハメッドさんは何かを拾って渡してくれた。見ると、石でできた矢じりだった。辺りを見回すと、かすかに何か建物らしきものがあった跡がある。私もしばらく地面を探し、三つの矢じりと、ナイフの石器の破片、そして土器のかけらを見つけた。いったいどれぐらい前のものなのだろう。
 夜はまた、砂漠の真ん中に毛布を敷いて野宿となる。今晩の食事はモハメッドさんがパンを焼いてくれた。小麦粉をこね、イースト菌を入れて寝かせ、砂を掘って即席のかまどを作り、炭火をおこして焼いた。
 モハメッドさんは寡黙なおじさんだった。アラビア語が母語なのだが、少しだけフランス語も話せた。私もどうにか片言のフランス語を使い、とぎれとぎれ会話をした。寡黙でとても気のいいおじさんだった。いつもにこにこしていて、黙々と歩き、手際よく火をおこし、慣れた手つきで食事の準備をしてくれた。そして一日に数回、メッカの方向にひざまずき、お祈りをしていた。どこまでも広がる砂漠のなかで、コーランを口ずさみながら一人ひざまずく姿には心打たれるものがあった。もしかしたらモハメッドさんは聖者のような、とても徳の高い人なのかもしれないと思ったりした。
 夕食を終え、焚き火を眺めながらお茶を飲んでいるときだった。わずかだが夕日の名残があり、地平線付近だけまだ赤みが残っていた。空には星がいくつか輝き、焚き火に照らされモハメッドさんの影が揺れていた。
 モハメッドさんが砂丘を指差し
「ボクーボクー、デサーブル、ボクーボクー(砂、たくさんたくさん)」
 と言った。私はお茶を飲んでうなずいた。
 モハメッドさんは水を入れたボトルを指差して
「デロウ、シュイシュイ(水、少し少し)」
 と言って笑った。私もうなずいて笑った。

 三日目の昼に、小さなオアシスにたどり着く。砂の色ばかり見てきた目には、オアシスの緑が映える。緑色がこんなに美しく思えたのは初めてだった。乾燥した砂漠の中で、それでも井戸を掘れば水が出るということが不思議でならない。
 この小さなオアシスはナツメヤシ畑だった。砂漠地方ではナツメヤシの実、デーツは重要なカロリー源なのだという。井戸から汲み上げられた水が、土を盛って作られた水路を伝い、数十本のナツメヤシに行き渡るようになっていた。オアシスにはモハメッドさんの友人のおじさんがいた。このオアシスはおじさんの畑らしい。
 おじさんは私たちを歓迎してくれ、木陰の一角に案内してくれた。砂漠地方は極度に乾燥しているため、陽射しは痛いほど強いが、木陰に入ってしまえば快適だった。畑の一角にはゴザが敷かれており、昼寝をしたりお茶を飲んだりする場所になっていた。私たちはそこでお茶を飲み休憩させてもらった。
 おじさんはデーツをどっさりプレゼントしてくれた。おじさんの仕事は一日に数回ポンプで水を汲み上げ、雑草を抜いたり水路を手入れしたりすることのようだった。おじさんがポンプを始動させると、水が勢い良く汲み上げられてきた。この砂漠の下のどこにこれほどの水があるのだろう。私は、砂丘を見た時と同じぐらい驚いた。水は木漏れ日の中を輝きながら流れていった。次々と溢れるように汲み上げられ、流れる水は、宝石のように透き通っていた。水がこんなに美しいものだとは知らなかった。手に触れてみると驚くほど冷たい。この水が水路を伝い、ナツメヤシを育て、地面に吸い込まれ、地下を流れ、また井戸水になるのだ。水が地上と地下を行き来している様子がありありと想像できた。

 私たちは天国のようなオアシスでゆっくりお茶を飲み、ナツメヤシの木陰でまどろんだ。ときおり心地よい風が吹き抜けた。サハラ砂漠の片隅のオアシスでまどろんでいると、辺境と呼ばれている場所にいるはずなのだが、このとき私は、ここは辺境などではないと思った。ここには都会なら当たり前にあるものが何もなかった。でも、こういう場所から都会の生活を思い出すと、なんであんなにたくさんのものが必要なのかよく分からなくなった。一体どちらが辺境なのかも分からなくなった。
 こういう場所もあるのだ、と私は喜びと共に思っていた。あの、とてつもない砂丘群に囲まれたオアシスの、ナツメヤシの木陰で、吹き抜ける風を感じながら、昼寝をする。そういう場所もあるのだ。そういう場所が、いまも、至る所にあって、そこでは、井戸から水晶のように透き通った水が汲み上げられ、人々が、ナツメヤシの木のように、しっかりと大地と繋がって生きている。そういう場所もあるのだ。
 私はオアシスの木陰で横になり、目を閉じた。風がナツメヤシの木を揺らした。井戸からくみ上げられた水の音が聞こえている。太陽の光が、風で揺れる木の葉にほどよくさえぎられながら、まぶたの裏側を明滅させる。モハメッドさんとおじさんがお茶を飲みながらぼそぼそ話している声が聞こえてくる。なんて平和で、満ち足りた場所なのだろう。やがて私の意識は遠のいていき、しばしオアシスに溶け合うように眠りに落ちた。短い時間だったが眠りは深く、目が覚めた時、何かが更新されているかのように感じた。私が目覚めたことに気づいたのか、モハメッドさんがそろそろ行こうかと合図をする。私たちは荷物を再びラクダに積んで、井戸の水も水筒に入れさせてもらい、おじさんにお礼を言って、オアシスを後にした。

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