ラサでは毎日のようにジョカン寺へ行き、読経を聞いたりチベット人に混じってコルラしたりしていた。そして街を歩き回ったりポタラ宮殿を観光したりした。ラサは旅行者が集まってくる街でもあり、宿のドミトリーにいると多くの旅行者に出会うことができた。そうやってラサでの滞在を楽しんでいた時のこと。
ある人から、車で半日ほどの所にあるお寺で鳥葬を見ることができると聞いた。鳥葬とは死者を鳥に食べさせる埋葬の仕方のこと。鳥葬は朝早くに行われるらしい。私は知り合った数名の旅行者を誘い、車と運転手兼ガイドを手配し、鳥葬を見に行くことにした。車は真夜中にラサを出た。夜通しかなりの悪路を走り続け、早朝、ようやく明るくなった頃に、ある山奥の僧院に着いた。
車を出て、案内されるままに僧院の裏山に登る。
その日の朝は寒く、今にも雨が降り出しそうな天気だった。しばらく山道を登っていくと、谷を見下ろす緩やかな開けた斜面が現れ、石が直径十メートル程の円形に敷き詰められていた。どうやらそこが鳥葬場のようだ。ときおり薄い霧が流れてきて、辺りが白く包まれる。風が吹くと霧が晴れ、広い谷を見下ろすことができる。広場の端には小屋があり、小屋の前に三人の僧侶がいて話しかけてくれた。その中の一人のおじいさんの僧侶が、もうすぐはじまるからこの辺りで待っていなさいと言ってから、私のカメラを指差して笑顔で首を振った。私はカメラをバッグにしまった。
死者は鳥葬にする前にお寺の中で何日間も魂を抜く儀式を行うらしい。そうやって魂を抜いた後の体は、もう使い終わった道具のようなものなので、他の動物の役に立てるために鳥葬にするのだという。チベットの標高の高い場所は木が育たなく、火葬にするための燃料がないというのも鳥葬が行われている理由なのだという。
しばらく待っていると、白い布にくるまれた遺体が三体、遺族の男たちに背負われ運ばれてきた。そして数回右回りに鳥葬場を回ったあと、円形に敷き詰められている石の上に寝かされた。ハゲタカやカラスがどこからか次々と集まり、鳥葬場の近くの斜面に舞い降りた。
三人の僧侶が、一体ずつ無造作にナタのような刃物で布を切り裂いた。中からごろりと全裸の遺体が出てきた。二体の老婆と、一体の中年の男だ。死後何日も経っているためか、遺体は青く変色していた。
僧侶は片方の手に大きな刃物、もう片方の手にカギ型の道具を持っていた。まずカギ型の道具を遺体に打ち付け、遺体を持ち上げた。それから刃物で頭皮を、胸を、手足を解体しだした。脳みそがこぼれ、内臓がはみだす。急に凄まじい腐臭が辺りに漂う。ハゲタカがそわそわしだし、食べようと近寄ってくるが、まだだと見ている遺族の男たちに止められていた。
食べやすいように解体し終わり、僧が離れるのと同時に、何十羽というハゲタカが突進してきた。まずやわらかい内臓や脳みそを奪い合うように食べている。それから手足の肉を食べている。死体が無数のハゲタカについばまれ、まるで操り人形が踊っているかのように動いている。カラスは中に入れずに、飛び散る肉をついばんでいた。五分あまりでほとんど骨だけになったが、手や足の指などの食べにくい部分はまだ残っていた。
僧侶がハゲタカを追い払い、ほぼ骨だけになった死体を、再び刃物で解体する。頭蓋骨を半分にして、内側の天頂部にある血管が通る穴を遺族の人たちに見せていた。どうやらその天頂部の穴を通って、死者の魂は抜けていくらしい。
それから死体に大麦を炒って粉にしたツァンパをふりかけ、刃物で骨をさらに解体し、ハンマーで粉々に砕いた。そして砕いたものを団子状にした。僧侶が離れるとまたハゲタカが突進してきて、残らず全部平らげた。細かいかけらはカラスが全部ついばんでしまった。始まってから終わるまで四十分ほどで、一片のかけらも残すことなく、全部鳥に食べられてしまった。
何もなくなってしまった、ということに私はしばらく驚いていた。そして遺族の男たちの淡々とした態度にも驚いていた。おそらく老婆の息子だと思われる人もいたと思うのだが、まったくと言っていいほど感情を表に出していない。深い信仰を持つ人特有の、静かで穏やかな表情をしていた。
生きていた者が死に、その体が鳥たちに食べられ、再び生き物の体になって、空のあまねく場所に飛んでいく。そこで生きている人たちと、そこに生きている動物たちが、切り離されていない。「死」は「何もなくなってしまう」ことであると同時に、「あまねくものになる」ことでもあるようだった。そのような光景を、私は心から美しいと思っていた。
いつのまにかハゲタカやカラスもいなくなり、何事もなかったかのように辺りは静かになっていた。まだときおり薄い霧も立ちこめていが、先ほどよりいくらか明るさは増していた。冷たい風が吹くと、霧の隙間から広い谷が見渡せた。