ラサに九泊してからカトマンドゥへ向けて出発する。
 ラツェまでは一度走った道を戻ることになるのでバスに乗る。ラツェから走り出し、数日走ると、いよいよヒマラヤ山脈を越える峠が始まる。峠を少し登ったところで日が暮れたので野宿する。風が一晩中吹き荒れ、朝になっても一向に弱まらない。
 これから連続する二つの峠、ラルン・ラとヤルレ・シュンラがチベット最後の峠だった。これを越えればあとはひたすらネパールへと下るだけだ。凄まじい向かい風のなか出発する。気温は零度前後だが、体感温度は非常に低い。
 十三キロ上り坂が続き、ラルン・ラに到着した。前方に道が一度下りまたなだらかな丘へと続いているのが見える。五キロ下り、最後の峠への上り坂が始まると、風がいよいよ強まった。すぐに自転車に乗っていられなくなり、押して歩く。だだっ広い丘のような坂を、烈風に倒されそうになりながら歩く。
 これほどまでに寒く厳しいと感じたのは本当に久しぶりだった。あのトルコの吹雪の峠以来だろうか。風さえなかったら簡単に越えられただろう。しかし風は斜め前方から叩き付けるように吹いている。倒されぬよう一歩、また一歩と歩く。烈風に体温が奪われ、二重に手袋をしているにもかかわらず手が痺れ、強い痛みを感じる。雪はないが、厳冬期の山の稜線上を歩いているかのようだ。油断していると突風に後ずさりさせられてしまう。最後の峠、これでこそだ。私は今まで越えた無数の峠を思い出し、がんばれ、がんばれと声を出し、自分を奮い立たせる。
 何度もあれが峠だとだまされた。そしてとうとう、遠くに峠を示す五色の祈祷旗が見えた。チベット最後の峠、標高五千百メートル、ヤルレ・シュンラに到着する。一気に視界がひらけ、ヒマラヤ山脈の八千メートルの峰々が現れる。
 もう日は暮れかけていた。少し下り、風を避けられる場所を見つけテントを張る。相変わらず満天の星空だ。夜、何度か寒さに目を覚ます。
 夜が明けると下り坂が始まった。待ちに待ったヒマラヤダウンヒルだ。ほぼ一日中、百キロ近い下り坂が続き、とうとう国境の町にたどり着いた。
 標高差にして二千六百メートルほどを一気に下っていた。朝、木が一本もない丸裸の高地にいたのに、夜は森林の中の町にいた。湿度があがり、気温があがり、空気がはっきり分かる程濃くなった。
 次の日、ビザが切れるちょうどその日に国境を越える。ネパールに入国し、さらに下り続ける。空気はさらに濃くなり、チベットの抜けるような青空がなくなり、ぼんやりとした水色の空に変わる。標高八百メートルまで下っていた。バナナの木まで現れた。
 下り坂がようやく終わり、また一つ峠が現れた。空気が濃く、ペダルをいくら踏み込んでも息が切れない。信じられないスピードで坂が上れてしまうのが不思議でならない。峠近くで一泊し、翌日カトマンドゥにたどり着く。百三十日間に及ぶチベットの旅が終わった。
 ロウソクの炎の先を見つめながら切実に願っていた日がとうとう来たのに、ラサに着いたときのような高揚感はなかった。チベットが終わってしまったことがただ信じられなかった。カトマンドゥの街の喧騒の中で、私は戸惑いながら、息をひそめて、チベットでの日々をかみしめていた。
 チベットの荒野をひたすら漕ぎ続けた日々。それはあらゆる感情をくぐりぬけながら、とにかく前へ進む日々だった。意味に捕われると、自転車は漕げなくなってしまう。意味ではなく、行為。意味ではなく、とにかく自転車を漕いで前へ進むことが私のやることなのだと信じ、私は前へ進んでいた。自転車を漕ぐことが、私の唯一の世界と関わる方法だった。
 百三十日間のチベットを旅した日々。その日々を私は至福の日々として記憶している。私は、私のありったけのエネルギーを、自転車を漕ぐという行為へと解き放っていた。私は何日間も、何週間も、誰とも話さず、ただ黙々と漕いで、いくつもの峠を越え、夜になったら道ばたに野宿していた。記憶の中のそのような私の姿を上空から眺めると、私の体は大地に透けている。半分透明になった私が、まるで季節移動をする動物のように、ゆっくりと前に進んでいる。彼の内にどんな想いがあるのかは、上空からは分からない。何が彼をそのような行為へと向かわせているのかも、上空からは分からない。ただ小さな点が、ゆっくり、ずっと動いている。
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