インドのバラナシにて、旅に出て三度目の正月を迎える。
一度目はガーナの田舎の村で迎えた。二度目はトルコのイスタンブールでだった。そして三度目がバラナシだった。
午前零時になると、どこからか散発的に爆竹の音が聞こえてきた。私は宿の屋上に出て、出会った旅行者たちと眼下を流れるガンジス川を眺めていた。手すりから身を乗り出し、ガンジス川を見下ろすと、黒々とした川がゆっくりと動いている。隣の宿の屋上でも同じように、旅行者が集まって新年を祝っていた。
私は旅先で三度も正月を迎えていることに、今更ながら驚いていた。そして長い旅になっていると思っていた。出発前は二年の予定だったのに、いつのまにかもう三年近くも旅をしている。そしてまだ終わる兆しがないばかりか、いよいよ深くのめり込んでいる。これから一体どうなるのだろうか。
翌朝、宿の窓から初日の出を見る。それから、かねてからやってみようと思っていた沐浴をする。
インドといえど一月は肌寒く、早朝に川に入るのは躊躇した。濁った川に入り底に立つと、足の裏になにか堆積したものを触っているような感触があった。ゆっくりと肩まで入り、それから思い切って頭を沈め、すぐに出る。それからいつものように川を眺め、チャイを飲んだ。
ガンジス川はいつも濁っていた。洗濯の排水も、体を洗ったあとの石けんの水も、祈りに使われた花やロウソクや色のついた粉も流れていた。動物の死骸も人間の死体も死体を焼いた灰も流れていた。ゆっくり流れる川が、何もかもを運んでいた。
特に何をするわけでもなく、一週間また一週間と過ぎていった。
朝、ガンジス川で沐浴や洗濯をする人々を眺めながらチャイを飲む。川沿いを歩き、漂着した死体を眺め、火葬場で焼かれ灰になる死体を見つめる。細い路地裏を歩き、死を待つ老人たちを眺め、物乞いが差し出す手を横目に見ながら歩く。夜はガンジス川の沐浴場で祈りが行われるのでじっと見る。ロウソク売りの少女からロウソクを買い、火をつけて容器に載せ河に流す。
路地裏には野良犬や野良牛が歩き回っていた。友人たちと一緒にボートに乗り、河を渡り対岸を歩いてまわった。対岸では子牛の死体を野良犬が食べていた。祈りに使われた花びらが落ちており、白骨化した死体が打ち上げられていた。夜にボートに乗り、街に沿って河を下ると、火葬場に炎が赤々と立ち上がっているのが見えた。
バラナシに滞在し、歩き回りながら私は、旅は見るだけだなとつくづく思っていた。その土地へ行き、出会い、見て、別れる。そんなことをもう三年近くもしていることになる。いろいろな瞬間があるけれど「見る」ということを繰り返しているなと思った。この三年間で、ほんとうにいろいろな光景が、いろいろな出来事が、たくさんの水が流れるように、私の中を通過している。そうやって旅をし、見続けて、そしてどうなるのかはよく分からない。私はただ見続けているだけだと思っていた。
バラナシの火葬場のわきには大量の木が積まれていた。一体を荼毘に付すたびに、一山の木が消費されていた。一体を灰にするのにこれほどの量の木が必要だというのは意外だった。点火してから灰になるまでじれったいほど時間がかかるのも意外だった。
バラナシには火葬場がいくつもあった。散歩をしながら一日に何度も火葬場の近くを通った。そのたびごとに立ち止まり、しばらく眺めて、また歩く。そして別の火葬場でまたしばらく眺めて、また歩く。いつでも炎があがっており、いつでも死体が焼けていた。
バラナシに来ていつのまにか二十日間が経っていた。ある旅行者が、数日後にブッダガヤでダライ・ラマ法王による集会が行われるらしいと教えてくれた。数十万人のチベット人が集まる大規模なものだという。いつものように荷物をまとめ、自転車にくくり付け、出発する。
*
仏塔を右手に巡礼している群衆、次々に灯されていくロウソク、響きわたる歌声。その日の夜、マハボディー寺院を訪れると、そこは祈りの坩堝と化していた。二千五百年前のある日、菩提樹の木の下で、仏陀その人が悟りを開いたというまさにその地で、数千、数万の人が祈っていた。聳え立つ五十二メートルの仏塔、マハボディー寺院の先に、満月が輝いている。境内には無数のロウソクが、草原のように揺れている。
私はチベットで買った数珠を手に群衆の回転する流れに入り、マハボディー寺院を右に見ながら歩いた。道に沿ってロウソクが埋め尽くされている。それでも次から次へとロウソクは灯されていく。五体投地をしている老人がいる。子供を背負いながら歩いている父親がいる。歌いながら歩いている若者の集団がいる。一周、二周、三周……、私は寺院の周りを廻った。内側の道へ移動し、また一周、二周、三周……、繰り返した。
回転する流れを離れ、境内へ移動した。菩提樹の木の下で五体投地を繰り返す僧、読経をしている僧、ロウソクを灯している父と母と女の子。無数のロウソクの炎の先に、光景が陽炎のように揺らめいている。視線を上へ向けるとマハボディー寺院が聳え立っている。さらにその上に満月が輝いている。
普段はちいさな村にすぎないブッダガヤに、チベット人をはじめとする数十万人の仏教徒が集まっていた。しかし、ダライ・ラマ法王による集会は、法王の体調が思わしくないため一年延期になってしまった。気落ちして夕方宿でふて寝しているとき、友人が興奮した面持ちで宿に来た。そして、とにかくすごいことになっているから来てみろと、寝ている私を起こし、マハボディー寺院へ連れ出した。暗くなってから訪れるのはこのときが初めてだった。
境内を歩きながら、込み上げてくるものがあった。この中のどれだけのチベット人が亡命してきたのかは知らない。しかし、相当な数になるのだろう。そして、祈るために世界中から集まってきた人たちの、真摯に合掌する姿に心を動かされていた。
一人一人の合掌には、通奏低音のように平和への祈りが響いていた。ニューヨークのあのテロから世界が急速に戦争へと突き進んでいく中で、この地ブッダガヤでは暴力の連鎖を断ち切る祈りが絶えなかった。一人一人の祈りが渾然一体となり、仏塔の周りに渦巻いていた。
しばらく境内を歩き、それからマハボディー寺院を後にした。
寺院を出るときに、皆がそうしているように、私も振り返り手を合わせた。振り返り、仏塔を正面に見ながら手を合わせ、そして数秒間目を閉じた。水が低いところに流れるように、自然に手を合わせていた。何も考えず、祈りの言葉も願いの言葉もなく、目を閉じたときに現れる白い空間の中で、私は手を合わせていた。
それから目を開けて、マハボディー寺院を後にする。私は宿までゆっくり歩きながら、何か大きな変化が起こったことを感じていた。私は自分がこのように心から手を合わせていたことに驚いていた。
私はずっと、手を合わせるという行為を心からすることができなかった。形だけ手を合わせることはあったが、常に居心地の悪さを感じていた。手を合わせる、ということが、何か盲目的な行為に思えていた。そのような行為に対して、私の理性は抵抗を感じていた。そしてそれは、盲目的な信仰に対する拒絶感でもあった。そのような、盲目的な信仰と行為が積み重なって、最終的にはテロのような極端な行為に至ってしまうのだと思っていた。だから私は理性の検証を経ない行為に対して、極端なまでの警戒心を抱いていた。
それでも私はこのとき心から手を合わせていた。手を合わせることは、このときの私にとって、春になったら雪が溶けるような、自然なことに思われた。世界をただ見続けるだけという冷めた態度に、私はこのとき物足りなさを感じていたのかもしれない。手を合わせるということは、かたくなになっていた私を、世界に向けて開いていく行為に思われた。