ガーナ国境から首都のアクラまで、海岸沿いの道を五日間かけて走る。そしてアクラから海岸を離れ北上する。北上するにつれて、蒸し暑かった熱帯雨林から徐々に乾燥した気候へと変化していった。そして気候が変化するにつれて、キリスト教からイスラム教へと変化しているようで、教会に代わりモスクが目につくようになっていった。アクラから二十日間かけてガーナを縦断し、ブルキナファソに入国する。ブルキナファソではモスクから祈りの時間を告げるアザーンが流れていた。ブルキナファソを二週間ほどかけて旅し、マリに入国する。
マリは中心がくびれた形をしており、そのくびれの西側に、数十キロに渡るバンディアガラ大断崖がある。その断崖に沿ってドゴン族の村は点在している。私はずっとこのドゴン族の村々に行くことを楽しみにしていた。そこでは人々は独特の神話世界を保ちながら生活しているらしい。私はバンカスという村でガイドを雇い、四日間ドゴン族の村々を巡り歩いた。
三日目だった。朝、ある村を出て次の村へ行く途中、ちょっとした広場になっている場所でガイドが立ち止まり、今日ここでマーケットがあると言った。近くに村もなく、まったく人気のない場所だったが、確かに広場の一画は木の枝とワラで作られた日除けがいくつか並んでいて、マーケットの場所らしい。始まるのを待ってみることにした。
朝九時から正午までは誰一人としていなかった。私もガイドも木陰で寝ていた。正午をすぎると、どこからともなく一人、また一人と集まってきた。頭の上にかごを載せ、女たちが集まってきた。ロバに荷車を牽かせ、男たちが集まってきた。羊が引きずられるように連れてこられた。そうして、広場に徐々に人が集まりだした頃、初めの一匹の羊の喉元が掻っ切られた。
目の前で羊が次々と殺されていく。
一人の男が頭を押さえ、もう一人が手足を押さえ、地面へ横に倒して動けなくする。そして三人目の男が蛮刀でさっと首を切る。切り落とすのではなく、前半分、喉のところだけ切る。
その瞬間、羊は激しく暴れる。脚が地面を蹴り、砂ぼこりが立つ。しかしそれも数秒で、だんだん手足が動かなくなり、数分後にはときおりかすかに痙攣するだけになり、いつしかそれも絶える。首から深い赤色の血が流れ出している。それがちょうど首の下に浅く掘られた穴にたまり、あふれ出ている。真昼の強い陽射しの下、深く赤い血が光を反射している。
首を切られ動かなくなった羊は、木の枝に吊るされる。まず、首の辺りから下へ、まるで服でも脱がせるかのように、男は器用に皮を剥いでゆく。それから腹を裂く。内臓を一つ一つ取り出す。男は淡々と作業を進めていた。羊は痩せ細ってゆき、最後には頭だけになった。その頭が取り外され、次の羊が掛けられた。羊の目はずっと開いていた。
私はその一部始終を目を凝らして見ていた。そして、これが肉だったのかと驚いていた。知っているはずなのに、これが肉だったのかと驚いて、目が離せなくなっていた。
次々に羊が連れてこられ、喉元を切られ、暴れ、やがて絶命し、木の枝に吊るされ、解体されていった。今、生きていたものが、次の瞬間、肉になっていた。何体もの羊が枝からぶら下がって揺れている光景。その下で他の羊が首から多量の血を流し、しかしまだ死にきれずにときおり体をふるわせている光景。その横で別の羊が今まさに喉元が切られ、砂ぼこりが立ち、流れ出す血とともに、息が、切られた箇所から外へ漏れてゆく音とその光景。それらをつぶさに見ながら、知らなかったと思い続けていた。知っているつもりでいて、ほんとうは何も知らなかったと、そればかり思い続けていた。私が毎日のように食べているものがほんとうは何なのか、初めて、知らされていた。
一匹の羊が解体場所の横の木につながれていた。私は近づいていって、目を覗き込んだ。羊の目は、意外なほどよどみ、焦点が定まっていない。やがてこの羊の番が来たので連れていこうと男が近づいてきたときに、何かを察したのか、それまでおとなしくしていた羊が、突然発狂したように暴れだした。普段のおとなしい姿からは想像できない程の、なりふり構わぬ必死さだった。私は思わず、逃げろ、逃げろ! と心の中で叫んでいた。男は刃物の切れない部分で殴りつけ、なおも逃げようと抵抗する羊を無理やり引きずり、解体場所へ連れて行った。
解体場所のすぐ横でいつの間にか火が焚かれ、網の上で盛大に肉が焼かれていた。先ほど殺され、解体されたばかりの肉が、ジュージューと油をしたたらせ、旨そうに焼きあがっていた。
旨そうに。
たった今、発狂したように暴れ、男に襲いかかった羊を見て、逃げろ! 綱を引きちぎって逃げろ! と思わず心の中で叫んでいたにもかかわらず、焼きあがっている肉を見て、次の瞬間には旨そうだと感じていた。
目を移すと先ほど抵抗していた羊が首根っこをぱっくりと開けて横たわっている。赤々とした血が流れ出している。ときおりまだ動く。また目を移すと肉が焼かれている。肉汁が焚き火に滴りジュッと音がして、煙があがっている。
肉は、やはり旨そうに感じられた。はばかりながらも、紛れもなく旨そうだった。
ジンバブエのハラレで出会ったニコさんの話が思い出された。私は毎日、他の日本人旅行者と一緒に親子丼やカツカレーなどを作っていたのだが、彼女は決して加わらなかった。どうしてなのか不思議に思っていたが、ある日彼女と話しているときに教えてくれた。彼女はベジタリアンだったのだ。
「小学校に入って、初めての理科の授業だったの」と彼女は話してくれた。「その授業は、動物の正しい抱き方という授業だったの。先生がこんなことを言ったわ。うさぎを抱くときは耳を持ってはいけません。あなたの耳をひっぱられたら痛いですよね。だから両手でしっかり抱きましょう。猫を抱くときは首の後ろを掴んではいけません。あなたの首の後ろを掴まれて持ち上げられたら痛いですよね。だから両手でしっかり抱きましょうって。私、それを聞いてすごくおかしいと思ったの。だから授業が終わってから先生の所へ行って質問したの。先生、どうしてそうやって動物をやさしく抱くのに、お肉を食べるんですかって。そうしたらね、先生が私のことすごく怒ったの。よく分からないけど、とにかくすごく怒るのよ。だから私ますますおかしいと思って、それからだったの、だんだん食べないようになったのは。もちろん、小学生の頃は親に無理矢理食べさせられたりはしたけど」
ナミビアで会ったある若いオランダ人のカップルもベジタリアンだった。私が宗教的な理由なのか、それとも何か別の理由があるのかと聞いたら、彼は、宗教とは関係がないと言ってからこう言った。
「僕は牛を殺すことができない。だから、牛肉を食べない。豚を殺すこともできない。だから豚肉も食べない。鳥も同じだよ」
そのときはただ通過していっただけの彼、彼女らの言葉が、羊が肉になる光景を目の当たりにしてもう一度思い出された。
俺に羊が殺せるだろうか。
いつのまにか、旨そうに焼けている肉を見ながら私はそう自問していた。目の前に頭と脚を地面に押さえつけられた羊がいて、ナイフを渡されたら、その喉元へナイフを入れることができるだろうかと自分に問うていた。
ガイドが焼けている肉を一切れ買った。今晩はこれを食べようと言った。
市場はいつしか人であふれかえっていた。子供たちが走り回っている。原色の服をまとった女が片手に赤ちゃんを抱き、母乳をあげながら野菜の値段の交渉をしている。老人が大きなひょうたんに入れた地酒を売っている。ロバが干草を食べている。午前中は誰一人いなかった広場が、日が傾きだした頃には沸き立っていた。
私はガイドと共に次の村へ移動した。夕食に羊肉入りのスパゲッティーを食べた。過程を目撃してもなお、旨かった。そしてまた、自分が羊を殺す場面を想像した。私は何も知らないのだと思った。肉を食べるということを、命を食べるということを、そのほんとうのことを、私は、何も知らないのだと思った。