イスタンブールでイランのビザを申請したら受け取りは十日後だと言われたので、私はビザを受け取るまでの十日間、自転車や不要な荷物はイスタンブールの宿に預け、トルコ国内をバスで旅した。
 イスタンブールからカッパドキア、パムッカレ、セルチュクと周り、その日がバス旅の最終日だった。私はセルチュクからイスタンブール行きの夜行バスに乗り込み、バスの座席に深々と座り込んだ。私は少し疲れていた。慣れない観光地巡りの疲れがどっと出たようだ。私はイヤホンで音楽を聴きながら目を閉じた。疲れているから話し掛けないでくれという合図のつもりだった。バスに乗り込んだときに、好奇心満々のおばちゃんたちが席の近くにいたのを見てしまったのだ。
 バスが走り出してしばらくは平和だった。目を閉じていたら眠くなってきた。しかし案の定、どうも視線を感じる。私に話し掛けたくてたまらないという空気を感じる。そしてやっぱり肩を叩かれた。振り返ると満面の笑みのおばちゃんがいた。
 空いている隣の席を指差して、移ってもいいか? と聞いてくる。私は観念して、もちろんと答えた。これでしばらくは眠れそうにない。
 おばちゃんは英語を話せなかった。私はトルコ語が分からない。握手をして、名前を言い、ジェスチャーで会話をする。それでも意外と会話は成り立つものである。何処から来た? 何処へ行く? トルコはどうだ? 日本はどうだ?

 ふと気づくと、一人の女の子が前の席から身を乗り出して私たちの会話を聞いていた。十五歳ぐらいだろうか、好奇心いっぱいの目で私を見ていた。素朴で明るく、大きな目をした女の子だった。おばちゃんは元の席に戻り、今度はその女の子が私の隣に移ってくる。しかしやはり言葉がまったく通じない。握手をして、自己紹介をしたら、話すことがなくなってしまった。私はちょっと考え、バッグから地図を取り出した。そしてセルチュクからイスタンブールまで行くところだと指で地図をなぞりながら示した。彼女は、母親らしき人と一緒に地図を覗き込み、自分の住んでいる場所を指で示してくれた。そこはセルチュクからさほど遠くなく、彼女と母親は、次の停留所で降りなければならないようだった。
 どうやら話す時間はそれほど残されてはいないようだ。とはいえ、言葉が通じないのだから、いずれにせよ何も話せない。話せないかわりに、彼女はなんども私の手を握った。少し冷たく、指の細い小さな手だった。それから彼女は自分の住所を書いた紙を渡してくれた。私も自分の住所を書いて渡す。
 ほどなくしてバスは停留所に停まった。彼女はバスを降りてからすぐに私の席の窓の前にきた。そしてバイバイと言いながら、何度も手を振ってくれる。私もそのたびに手をふり返す。しかし、バスはなかなか出発しなかった。
 見回してから、彼女はバスに乗り込みまた私のところまできた。そして紙切れに自分のメールアドレスを書いて渡してくれた。私も自分のメールアドレスを書いて渡し、また長い握手をする。それから彼女は早足でバスを降り、ふたたび窓の前にきて、手を振ってくれた。
 しかし、まだバスは出発しなかった。彼女は運転席のほうを見てから、決心するようにまた小走りでバスに乗り込んで、私の席まできた。そして電話番号も書いて渡してくれた。私も自分の番号を書いて渡す。
 それから彼女は顔を寄せてきて、左右の頬を交互に軽く触れ合わせた。私は彼女を軽く抱きしめた。それから彼女は小走りでバスを降り、また窓の前まできて手を振った。彼女は目にたっぷり涙を溜めていた。今度はバスが動き出した。彼女は小さな街の、夜の闇の中に消えていった。私は眠れなくなり、窓の外に現れては消える街の明かりをずっと目で追っていた。

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