新しい光景を ヴィパッサナー瞑想体験記
 三、長い一日


 朝四時、起床の鐘が鳴ると同時に起きて、布団をたたみ、外へ出た。まだ真っ暗だった。二月下旬の切れるような寒さが心地よく、しばらく星空を眺めてから、トイレ・シャワー棟へ行きトイレを済ませ、顔を洗う。他の参加者も続々と宿泊棟から出てくる。こんなに多くの人と共同生活をしながらも誰とも話すことができない不自然さ、ぎこちなさが面白い。食堂の前の棚にポットに入ったほうじ茶が置いてあったので、ベンチに座りゆっくり飲む。温かいほうじ茶がとてもおいしい。やがて瞑想時間を告げる鐘が鳴り、私は立ち上がった。玄関でタイムテーブルを確認する。四時半から六時半が瞑想時間と書いてある。二時間も座るのか、長いなと思いながら、宿泊棟二階の瞑想ホールへ向かう。


 もう半分以上の人が座っていた。私も所定の位置に座る。まだなにか、場違いな所で、よく分からないことをしているという想いが消えない。目を閉じるが、ほとんど呼吸を意識できない。ずっと考え事をしてしまい、しばらくしてふと気がつき、数秒間呼吸に意識を戻すが、またすぐ考え事をしてしまう。そして三、四十分経ったころからだろうか、いつのまにか強烈な眠気の中にいた。朝四時の鐘と同時に起きられたのは、精神が張りつめていたせいで、つまりはあまりよく眠れなかったのだろう。眠気の中で座っているのはつらかった。背が丸まり、意識が切れかけた蛍光灯のように点いたり消えたりし、その度に頭がガクンと落ちる。

 一時間ぐらい経ったときに先生が部屋に入ってくる気配を感じた。外から直接瞑想ホールへ入る先生専用の階段がきしむ音がして、後方の扉が開く。男女の境のスペースを歩き、皆の前に座る。そしてしばらくするとMDがセットされる音、ボタンが押される音がして、スピーカーからゴエンカ氏の太い声の詠唱が流れはじめた。早朝の、まだ暗い中、六、七十人が静かに座り、詠唱が流れている。詠唱はパーリ語というブッダの時代の古い言葉で、意味は全く分からない。これはなんだかすごいところにいるなと思いながらも、とにかく眠く、はやく終わってくれと願うばかりだった。しかしそのように感じている時、時間は残酷なまでに引き延ばされる。


 半醒半睡のなか、ようやく終わりを告げる鐘の音が鳴った。ぞろぞろとホールを出て、食堂へ向かう。もう外は明るくなっていた。朝の、赤みを帯びた空と、独特の清々しい空気が心地よい。朝焼けを見れるなんてほんとうに久しぶりのことだ。食事はおかゆとパンとフルーツ。前日の残りのそばもあった。朝食をしっかり食べるのも久しぶりのこと。こんなに早い時間からボランティアの人たちは起きて、朝食の準備をしてくれていたんだと思うと、ほんとうにありがたい気持ちになる。パンが、食パンではなく、こだわりのあるパン屋でちゃんと焼かれたようなパンで、とてもおいしく、何枚も食べる。

 朝食を三十分ほどで終え、お茶を飲んでから、部屋に戻る。玄関でタイムテーブルをまた確認する。これから一時間ほど、八時までは休めるようだ。スケジュールは細かく決められていて、それにきっちり従わなければならない。


 4:00 am                   :      起床
 4:30 am ~ 6:30 am  :      瞑想
 6:30 am ~ 8:00 am  :      朝食と休憩
 8:00 am ~ 9:00 am  :       グループ瞑想
 9:00 am ~ 11:00 am:      瞑想
 11:00 am ~ 12:00 pm:    昼食
 12:00 pm ~ 1:00 pm:      休憩
 1:00 pm ~ 2:30 pm  :      瞑想
 2:30 pm ~ 3:30 pm  :      グループ瞑想
 3:30 pm ~ 5:00 pm  :      瞑想
 5:00 pm ~ 6:00 pm  :      ティータイム
 6:00 pm ~ 7:00 pm  :      グループ瞑想
 7:00 pm ~ 8:30 pm  :      講話
 8:30 pm ~ 9:00 pm  :      グループ瞑想
 9:00 pm ~ 9:30 pm  :      質疑応答
 9:30 pm                    :      就寝


 タイムテーブルを見ていると、なんという過密なスケジュールなのだと思う。これから十日間、ずっとこのスケジュール通りに過ごすことになるのだ。私は部屋に戻り、横になった。瞑想中眠くならないために、寝れる時はすこしでも寝ておきたかった。

 八時五分前ぐらいに鐘が鳴る。コース中はこの鐘の音が時刻を知らせてくれる。鐘はコースマネージャーが鳴らしてくれているようだった。ホールに移動し自分の場所に座る。こんどはグループ瞑想になる。グループ瞑想以外の瞑想時間はホールの出入りは自由なのだが、グループ瞑想の時間はホールにとどまらなくてはならない。ボランティアで奉仕をしてくれているキッチンのスタッフも参加し、センターにいる人みなで座る時間だ。


 瞑想がはじまるとすぐ、足が痛くなりだした。座る姿勢については背筋と首筋を伸ばすようにと言われるだけで、それ以外の指導はなかった。私はどうやって座ればいいのか分からず、とりあえずあぐらをかいて座っていたのだが、足の付け根の外側と、足が交差する部分が、じわじわと痛みだした。うっすらと目を開けてみても、みな全く動かない。痛かったら動かしてもいいとは言われていたのだが、誰も動かさないとやはり気が引ける。しかし、痛い。眠いのもつらいが、痛いのはもっとつらい。痛いと呼吸の観察どころではなくなる。しばらくは我慢していたが、もう限界だったので、ゆっくり、音を立てないように足を組み替える。そうすると一時的に痛みは和らぐが、しばらくしたらまた痛みだす。

 グループ瞑想が終わり、五分ほど休憩し、それから十一時まで大部屋に戻り瞑想する。瞑想ホールの濃密な空気から解放されほっとするが、自分の部屋で座っていると、足が痛くなるとすぐに動かしてしまい、緊張感がないのですぐに眠くなり、座っていられない。呼吸の観察どころではない。私にとって瞑想とは、眠いか痛いか退屈かだった。時折ほんの数秒間呼吸を意識できるときもあったが、ほとんどの時間は、なにかを考えているか、痛いことに気を取られているか、あるいは眠くてなにもできないかだった。こんなことをしていて、一体何になるのだろうか?

 昼食にカレーをいただき、休憩時間はすこし散歩をしてから横になった。午後は一時から瞑想がはじまり、二時半に五分ほど休憩し、それから一時間グループ瞑想。それが終わるとまた五分休憩で、そしてまた一時間半、五時まで瞑想する。

 その瞑想時間中ずっと、痛いか、眠いか、退屈かだった。そして早く時間が経ってくれることだけを願っていた。そう願うことが時間を引き延ばすだけだと分かっていながらも、願わずにはいられなく、苦痛でたまらない。永遠かと思われるほど引き延ばされた数時間を過ごしていた。


 五時になり、お茶の時間、窓際の席に座り、外を見ながらコーヒーを飲む。コーヒーを飲みながら、ふと、まだ初日であることに思い至り、愕然とした。まだ初日だということにほんとうに驚いた。なんと長い一日なのだろう。もうセンターに来てから一週間ぐらい経っているような気がする。しかし実際には昨日センターに来たばかりなのだ。長く、長く引き延ばされた時間を過ごしていた。この長さで、この密度で、この苦痛のまま、これから十日間過ごすことになるのかと思い、私は途方に暮れていた。久しぶりに、本当に、途方に暮れていた。


 お茶の後グループ瞑想があり、そして講話の時間になった。
 ホールでゴエンカ氏の講話を翻訳したテープが流れるのを聞く。この時間は姿勢をくずしてもいいようなので、楽な姿勢で聞く。この講話の時間が、十日間を通じてもっとも好きな時間となった。瞑想しなくてもいいのがありがたいし、なぜこんなことをやっているのかを、ゴエンカ氏が説明してくれるのもありがたい。やはり、なぜこんなことをしているのか納得していないと、とてもではないがやってられない気持ちになる。


 私には、今回のコースに参加するにあたり強い思いがあった。それはこのヴィパッサナーと呼ばれる瞑想法が、理性の検証に耐えうるものかどうかということを確認したい、という思いだった。私は、私を、善かれ悪かれ、理性的な人間だと思っていた。この理性をきわめて窮屈に感じることもあったが、私は理性を手放すということができなかった。決して手放してはいけない、とも思っていた。そしてもし宗教というものが神仏に祈ることならば、私は既成の宗教の神や仏に祈るということができなかった。形だけ手を合わせたりはするが、ほんとうに神や仏を信じるということはできなかった。

 私は理性を手放さないまま、理性と調和する形での、脱宗教の精神性というものを探していたのかもしれない。そうして手さぐりで歩いてきた私の前に、この十日間コースが現れた。私はこれを避けては通れないものだと認識し、そこへ踏み込んでいった。しかしながら、このような瞑想コースに参加することは私にとって、理性の境界領域に踏み込むことだった。私はこのゴエンカ氏が指導するヴィパッサナーがはっきりと宗教ではないと言っている点に、希望を感じていた。そうでなければ私のような者は参加できない。参加する気にもなれない。この瞑想法は、宗教や宗派に属するものではなく、普遍的な実践法なのだという。普遍的であるからには、どこまでも理性の検証に耐えうるものでなければならない。そういうものしか、私は実践することができない。

 私は、宗教というものに、強い警戒心を持っていた。それは、民族や国家という概念と同様、場合によっては狂信的、排他的となり、いままでに数えきれない対立と悲惨を生み出してきた。宗教の教えそのものはすばらしいのに、そしてその教えを実践する人の深く静かな佇まいはほんとうに尊敬できるのに、歴史を見るとなぜか、宗教が対立と悲惨の原因そのもののようにすら思えてしまう。私もまた、何かを盲目的に信仰してしまうと、狂信的、排他的になるかもしれない。そして自らの信念のまま行動し、対立と悲惨を生み出してしまうかもしれない。

 だから私は盲目的に受け入れるということの一切を拒否し、自分で体験し、自分の頭で考え、そして自分で理解したかった。私は自分の足で歩きたかった。なにかを盲目的に受け入れることはありえないことだった。だから講話の時間は、全身で理性を発動させて聞いていた。


 講話では、なぜ呼吸だけを観察するのかを説明していた。言葉を唱えたり、神仏などを想像した方が集中することは容易になるのに、なぜ呼吸だけに意識を集中させ、なぜ言葉やイメージを使わないのかを説明していた。

 もしも言葉や神仏の姿が使われるなら、
 その修行法は宗派的なものになります。
 言葉や形は特定の文化・宗教を表すとみなされますから、
 異なった文化・宗教の人には受け入れ難くなります。
 苦しみ、苦悩は、人類共通です。
 その治療法もまた、普遍的であるべきで、
 宗派的なものであってはなりません。
 だれもが息をして生きています。
 呼吸を観察するというこの修行方法は、
 だれにとっても抵抗なく受け入れられるものでしょう。

 講話ではさらに、呼吸は意識と無意識の両方にまたがっているということ、そして生理現象であると同時に、精神状態とも深く関係しているということも説明されていた。そして、呼吸に集中することがとても難しいのは、心の習性なのだとも説明されていた。心は、木から木へ飛び移る猿のように、一カ所に留まることを嫌い、過去と未来をさまよい続け、呼吸に留まることを嫌うのだという。私はそのことを一日を通して散々経験してきた。そのような心の習性を知ることができただけでも、大きな一歩なのだという。

 講話が終わり、すこし瞑想の時間があり、そして一日目は終わった。宿泊棟を出て、ベンチに腰掛け、星空を見ながら、お茶を飲む。長い長い一日だった。手応えはかすかに感じていたが、まだ何をやっているのかまるで分からなかった。しかし、とにかくやってみようという気持ちはあった。とにかく座り、体験し、検証しよう。そういう前向きな気持ちは十分あった。お茶を飲み終え、自分の部屋に戻り、横になる。まだ九時過ぎではあったが、朝の四時から起きていたため、すみやかに眠りが訪れた。

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