新しい光景を ヴィパッサナー瞑想体験記
二、遠い場所


 バッグに財布と十日間分の着替えとシーツと洗面道具を入れる。いつも出かけるときに持っていく携帯電話、iPod、筆記用具、ノート、本は、入れない。夜十一時過ぎに、新宿から京都行きの夜行バスに乗り込む。いつも持ち歩いているものを持っていないことが、これほど清々しい気持ちにさせるとは思ってもみなかった。新しい旅が始まるときに抱く、あのわくわくする気持ち、やっとはじまったという込み上げる喜びを感じながらシートを倒し目を閉じるが、全く眠れない。仕方がないのでずっと窓から夜の街の景色をみていた。


 ほとんど眠れないまま、早朝京都駅に着く。京都は曇り空でいまにも雨が降り出しそうだった。京都駅を昼過ぎに出れば受け付け時間に間に合うので、半日あまり時間があった。私は京都市内を歩き回ることにした。

 駅から歩き始める。歩き始めるとすぐに、あの、おなじみの、堂々巡りの思考モードに入っていくのが分かる。そして、せっかく久しぶりに東京を出て、なじみのない街を歩いているというのに、「私」は付いてきてしまっているな、と苦々しく思う。携帯電話やiPodは置いてくることができても、「私」は置いてくることができなかったと思う。この、「私」に閉じ込められているという感覚。この感覚がもうずいぶん長い間つきまとって離れないのだった。

 半年前の、西シベリア、アルタイ山脈を歩いていたときも同じだった。あの時私は、アルタイ山脈の奥にある、シャブリンスキー湖という氷河湖を目指して歩いていた。氷河の麓にあるその湖で皆既日食を撮影しようと思っていたのだ。世界の辺境とも言える場所を歩きながら、しかし私はそのときも、ある苦々しさと共に、「私」が付いてきていると思っていた。こんなに遠い場所に来たのに、「私」からは逃れられないと思っていた。どれだけ遠くへ行っても、どれだけ人跡稀な場所へ行っても、相も変わらず、私は私に閉じ込められている。きっと南極へ行こうが、アマゾンの奥地へ行こうが、私は私に閉じ込められているのだろう。


 京都市内をくたくたになるまで歩き続けた。歩くことで私を置き去りにできるとでも思っていたのだろうか。途中から雨が降り出したが、私は傘をさして歩き続けた。昼まで歩き、それら山陰本線に乗り、園部駅で降りる。駅前のバス停に行くと、コースの参加者らしき大きな荷物を持った人が数人いる。園部からバスに乗り、桧山で降りる。そこからセンターの車に乗せてもらい少し行くと、山あいに瞑想センターは現れた。それほど山深くなく、植林と雑木林に囲まれた山あいの、少し開けた平地に、ヨーロッパの森の中にあるような木造の建物が何棟か並んでいた。門はなく、開放的な清々しい場所だった。

 雨はいつしか止んでいた。車を降りて、案内されるままに食堂の二階へ行く。テーブルと椅子が並んでいて、もう受付が始まっていた。受付用紙をもらい、記入する。コース中は沈黙を守ること、コース地から外に出ないこと、他の瞑想法や宗教的な行為はしないことなどを約束し、サインをする。これらのことはインターネットで申し込むときにすでに約束していたことだが、もう一度、あらためて約束する。そして財布や貴重品を預け、宿泊棟へ行き、一階の左奥にある部屋に荷物を置く。部屋は九人ほど入る大部屋だった。オリエンテーションがはじまるまでにはまだ時間があったので、センターの周りを歩いてみることにした。

 男性側の庭は、整地された高台になっていて、そこからセンター全体が見渡せた。道路が山の斜面を切り崩し、一番奥に左右へと通っていて、時折車が通る。その道路と防音壁を隔てて左から、女性側の庭、二階建ての宿泊棟と瞑想ホール、食堂とキッチン、シャワートイレ棟と並び、奥にはログハウスのような建物もある。宗教的な装飾は一切なく、大きな別荘か避暑地の研修施設のように見える。ここにこれから十日間滞在することになる。正確には受付日である今日は零日目で、十一日目の朝コースは終了するので、十一泊十二日間滞在することになる。庭を歩き回り、いったん道路に出て、センターをぐるりと一周してから、再び食堂の前に戻ってくる。コースが始まってしまえばもうここから外に出ることはできない。いったいこれから私は何を経験することになるのか。十日間沈黙するというだけでも、全く経験したことのないことだ。


 食堂棟の軒に吊るされた鐘が鳴った。それが夕食の合図だった。食堂棟の二階に移動する。壁際にテーブルが並んでおり、そこにそばとつゆと具が置かれていた。お椀と箸をとり、各自好きなだけよそえばいいようだった。食べ終わり、自分で使った食器を洗い、片付ける。それからまたしばらく時間があったので、食堂の前で、他の参加者と話して過ごす。あたりはもう暗くなっていた。

 再び鐘が鳴らされ、オリエンテーションが始まることが告げられた。男女の参加者が全員、食堂の一階に集まる。三十人づつ、合計六十人あまりだろうか。ほとんどは日本人だが、一割ぐらいは外国の人もいる。私と同様はじめて参加する人が大半で、これから何がおこるのかという緊張が誰の顔にも表れている。やがて男女ひとりずつコースマネージャーがあらわれ、自己紹介をする。コース中参加者同士は沈黙を守らなければならないが、瞑想についての質問があれば先生に聞くことができ、生活上の何か困ったことがあればコースマネージャーに相談することができるそうだ。

 コースマネージャーの自己紹介のあとに、テープに録音された注意事項が流された。静かだがはっきりとした口調の女性の声で、コース中はコース地にとどまること、十日目の午前十時過ぎに沈黙が解かれるまでは完全な沈黙を守ること、時間割や規律に完全に従うことを、再々度求められる。「…もしこれらの規律を守ることができないという方がおられましたら、その意思をご尊重します。その旨をコースマネージャーまでお知らせください。規律を守るという確固とした決意のないままコースに参加することのないようにしてください。規律を守るという確固とした決意がないということは、まだコースをとる準備ができていないということだからです。」参加者はみな真剣な面持ちで聞いていた。それからキッチンのスタッフが紹介される。男女あわせて六、七人ぐらい。以前にこのコースを終えた人たちが、ボランティアで十日間の食事を作ってくれるのだ。

 コースはこれから約五分後に始まります。鐘が鳴りましたら宿泊棟の玄関の前にお集まりください。そうコースマネージャーは言い、オリエンテーションが終わった。トイレを済ませ、食堂の前の中庭で待つ。もう沈黙が始まったかのように、みな無言だった。やがて、始まりを告げる鐘が三回、センターに鳴り響いた。


 玄関の前で、一人一人名前が呼ばれ、中に入っていく。やがて私の名前も呼ばれた。玄関で靴を脱ぎ、建物の中に入る。入ってすぐ左の階段をあがる。二階は薄暗く、廊下の向こうに部屋があるようで、そこから光が漏れていた。そこがどうやら瞑想ホールのようだった。

 部屋に入ると急に視界は開けた。六、七十畳ほどの広さだろうか、フローリングの床に、青い色のクッションが整然と並べられており、すでにホールに入った人たちが毛布を羽織り静かに座っている。ホールの左半分が男性のエリア、右半分が女性のエリアになっており、反対側の扉からは、女性の参加者がひとりづつホールに入ってくる。左前方を見ると、少し高くなった段の上に、参加者と向かい合うように先生が座っている。白いひげを生やした西洋人の男性と、日本人の女性。私は、何か、入ってはいけない場所に迷い込んだかのように緊張しながら、ともかく自分の場所に座った。そして、瞑想を習いにきたのではあるが、このような、ほんとうに瞑想する場所があることに驚いていた。やがて皆が座り、静まり返ったときに、男性の先生が英語で挨拶をし、横に座っている妻を紹介し、日本人の女性の先生が日本語で挨拶をする。ようこそヴィパッサナー瞑想センターへ。私は私の師であるS・N・ゴエンカ氏にかわり、アシスタント指導者としてこのコースを指導します。指導はすべてゴエンカ氏のオーディオテープで行います。質問がありましたら遠慮せずにしてください。よいコースをとられますように。先生はそのようなことを言い、テープのスイッチを入れた。

 スピーカーからゴエンカ氏の詠唱の声が流れ出す。太くよく響く声で、ホールが独特の雰囲気に包まれてゆく。ああすごい場所に来てしまった、そしてとうとう始まってしまった。もう後戻りはできない。そんなことばかり思いながら詠唱を聞き、コースを始めるにあたっての誓願を聞く。ゴエンカ氏の英語の説明のあとに女性の声で日本語の通訳が録音されていた。

 そして、アーナパーナと呼ばれる、呼吸を意識する瞑想法が指導された。先生が部屋の明かりを少し暗くした。眼鏡を外し、目を閉じ、全意識を鼻を出入りする呼吸に集中させるよう言われる。入ってくる息、出ていく息、それをたとえ一呼吸でも逃さないように意識しなさい、と言われる。としくんに教わった瞑想法だ。このアーナパーナをこれから三日と半日行うことになる。四日目の午後にヴィパッサナーが指導されるので、その準備なのだという。警戒し、緊張していたので、ほとんど呼吸を意識することができない。やがて終わりを告げる詠唱が流れ、初日は終了となった。みな沈黙を守りながら、瞑想ホールを出て自分の部屋に戻る。さっきまで話していた人と、もう目も合わすこともできない。


 私も部屋に戻り、布団に入る。布団に入るとほっとした。そして私は、ほんとうに久しぶりに、遠くに来たな、と思った。いままでで一番遠い場所に来ていると思った。これまでいろいろな場所に行き、いろいろな場所で寝てきたが、このような場所ははじめてだと思った。

 今まで寝てきた場所のいくつかが思い出された。サハラ砂漠を横切る、鉄鉱石を満載した貨物列車の上で寝たこと、チベットの無人の荒野の片隅でくる日もくる日も野宿したこと、ポルトガルのある街で、夜になっても寝る場所が見つからず、公園のベンチで横になったこと。あのときに感じていた、旅をしているという感覚、遠いところに来ているという感覚を、私はほんとうに久しぶりに思い出していた。

 ここはアルタイ山脈や喜望峰よりも遠いだろう。カイラス山やサハラ砂漠よりも遠いだろう。私にとって今は、ホーン岬や北極点よりも遠い場所かもしれない。

 そしてまた同時に、横になり、目を閉じてしまえば、そこがどんな場所であろうと、同じだなとも思っていた。
 零日目はこうして終わった。長い一日だった。明日から本格的に始まる。明日の朝四時に起床の鐘が鳴り、四時半から座るのだ。東京からの夜行バスでほとんど眠れなかったので、まだ九時すぎだったが、横になるとほどなくして眠りが訪れた。
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