新しい光景を ヴィパッサナー瞑想体験記
 五、新しい光景を


 十日目の朝のグループ瞑想のあとに、メッターと呼ばれる瞑想を学ぶ。それは慈しみの想いを育てる瞑想で、いままでの呼吸や感覚を観察する瞑想とはずいぶん趣が違っていた。

 ヴィパッサナーは理性的、科学的、現実的な言葉で説明される瞑想法だった。それは、自分の感覚を観察することで、「あらゆるものごとは変化している」ということを理解し、執着心を取り除く方法だった。

 執着心が取り除かれていけば、自然と想いは他者へと向かう。他者へ対する慈しみの想いが、必然的に湧いてくる。その自然な流れを育てるために、一時間ヴィパッサナーをしたら、そのあと数分間メッターを行いなさいと指導される。メッターとは具体的には、他者への、生きとし生けるものへの慈しみの想いで自分の心の中を満たすこと。


 メッターの指導の後、とうとう沈黙が解かれる時間がやってきた。
 私は深く開かれた気持ちになっていた。このあとしばらくすると沈黙が解かれる。とうとう十日間座り通すことになる。そう想うと、おおきな達成感と共に、深い場所から込み上げてくるものがあった。畏れの感情を抱きながらもコースに申し込めたこと、このような大きな変化を起こせたことが誇らしかった。そして十日間の深い沈黙を、ともかく途中で辞めないで、どうにかくぐり抜けられたことが誇らしかった。私はいままで体験したことのない、新しい体験をしたと思った。一体何を体験したのかは後でゆっくり反芻すればいい。ともかく貴重な体験をした。

 そして私は込み上げる感謝の気持ちをはっきりと感じていた。十日間まったくの無償で食事を作ってくれたキッチンの人たち、生活の世話をしてくれたコースマネージャー、質問に答え、ずっと前で座ってくれていた先生、ヴィパッサナーを教えてくれたとしくん、みなに感謝の気持ちを感じていた。


 午前十時半に沈黙は解かれた。
 その日は良く晴れていた。先生がまずホールから出ていった。それから一人、また一人とホールから出ていく気配が伝わってきた。やがて外から人々の話す声が聞こえてきた。時折笑い声も聞こえてくる。私はすぐにホールを出ていくことができず、しばらくのあいだホールに座りながらその声を聞いていた。十日間、完全な沈黙に包まれていたこのセンターに、本当に久しぶりに人々の声が聞こえていた。センターが、長い冬を抜けたあとの春のような、穏やかな、明るい雰囲気へと変わってゆく。人々の話す声を聞きながら、終わった、長かった、という感情が込み上げてくる。沈黙を抜けて、日常の世界へと戻る時間が来ていた。

 私も立ち上がり、ホールを出る。建物の外に出ると、眩しいぐらいの晴天だった。すぐには誰かに話しかけることができず、しばらくはうつむきながら庭を歩いていた。なにか泣きたいような、嬉しいような、名付けられない感情のかたまりが胸の内に込み上げてきていた。

 やがて鐘が鳴り昼食の時間になった。食堂へ行き、高野豆腐のカレーとサラダをお皿に盛る。コースが始まる前に話した人が一人で食べていたので隣に座り、話しかけた。こうして沈黙が解かれ、その日は他の参加者とずっと話していた。


 コースは翌日、十一日目の朝に終わった。
 皆で掃除をしてからセンターを出て、バスと電車を乗り継ぎ、京都駅へ戻る。そこでセンターで知り会った人たちと別れ、一人になった。東京行きのバスまでにはまだ時間があったので、駅からすこし離れた山にある神社をめざし歩いた。吹き抜けていく風が心地よかった。コースに参加する前に京都市内を歩いたときに感じた「私がついてきている」という窮屈な思いはあまり感じなかった。ゆっくり半日ほど歩き、夕方に再び京都駅に戻ってきて、夜行バスで東京へ戻った。


           ***


 一体私は何を体験したのか。この十日間は何だったのか。
 私は東京に戻ってからもずっと、そう自身に問いかけ続けていた。
 「何かを体験した」という手応えはあった。しかしそれが何なのかはどうしても分からなかった。それは明らかに、希望に満ちた手応えだった。「知らなかった」というのが正直な感想だった。このように世界を認識することを、生まれてから今に至るまでずっと、私は知らなかったと思った。それは、座り終えてから時間が経つにつれて、じわじわと実感されてくる、世界観の変化だった。世界の見方にもう一つの視点が加えられたように思われた。

 そして私は、「始まってしまったな」と思っていた。それは、十日間で終わるようなものではなかった。十日間は、ただのはじまりに過ぎなかった。十日間で新しい乗り物の乗り方を教わったようなものだった。
 かつて私は自転車という乗り物で旅をした。中学生のころ自転車という旅の手段を知って以来、私は自転車で旅をすることに夢中になり、多くの国を旅することになった。
 あのときの刻々と新しい世界が開けてくる感じを、私は再び感じていた。このような旅の仕方を、このような道の歩き方を、私は知らなかった。
 いろいろな国や地域を旅することで、それまでの凝り固まった価値観が突き崩されるということはある。しかし十日間の経験は、どこにも行かないで座り、ただ感覚を観察し続けることで、いままでの、凝り固まった、先入観だらけの認識を突き崩すものだった。このような方法を、このような世界の認識の仕方を、私はほんとうに知らなかった。


 ヴィパッサナーとは何なのか。
 なぜ感覚を観察するのか、なぜそうすることが平静さを養い、苦しみを取り除くことになるのか。それに対する理論的な説明を、夜の講話の時間にゴエンカ氏は繰り返し述べていた。その説明は、縁起、戒定慧、八聖道などの、オーソドックスで原始的な仏教の説明だった。ブッダは、「仏教」という宗教を説いたのではなく、ただ普遍的な自然の摂理を説いたという考えに基づき、ブッダが説いたであろう説明をそのままシンプルに説明していた。

 その説明は、とてもシンプルで分かりやすかった。さらに、毎日十時間以上も瞑想を実践しながら説明を聞いているので、かゆいところに手が届くように、深く腑に落ちることも多々あった。ブッダの説いたすべての言葉は、知的娯楽ではなく、哲学や宗教ですらなく、瞑想の実践のためのものだということも、実践をしながら聞くと、苦もなく理解できる。

 理性の検証という意味では、そう説明されれば矛盾なくそう理解でき、批判的になれば批判できるというものだった。しかし、結局そのような理論的な説明は補足でしかなく、ヴィパッサナーとは、あくまでも実践するもの、実践し、自分の体験から理解するものだった。講話の最後にゴエンカ氏は、理論面での説明は実践の助けとなるためにしているもので、受け入れられない人は受け入れなくても全く問題はないと言っていた。むしろ、頭だけで、あるいは感情的になってその理論を受け入れることのないようにと釘を刺された。ヴィパッサナーは知的に理解するものではなく、どこまでも実践し、実践をとおして体験的に理解するものなのだという。


 ヴィパッサナーとは何なのか。
 十日間かけて教えられた、その実践面での具体的な方法は、シンプルすぎるほどシンプルなものだった。頭のてっぺんからつま先まで、つま先から頭のてっぺんまで、部分ごとに、あるいは体全体を流れるように、意識を動かして、そこに現れている感覚を観察する。それだけだった。その観察の仕方は、各自、その時々の状況に応じて決めればいいようだった。
 ブッダが説いたというこの瞑想法が何なのかを一言で言うならば、「感覚に気づき、平静でいる」ということだった。「気づき」と「平静さ」がヴィパッサナーだった。別のいい方で言うと「感覚を、あるがままに、観察する」ということだった。


 感覚とは、具体的、身体的な感覚のこと。
 私は大学生のときに受けた「生体情報論」という授業のことを、瞑想中も、瞑想後も繰り返し思い出していた。その授業は、あまり勉学に熱心でなかった私にとって、例外的にまじめに、毎回出席していた授業だった。

 授業では先生が、「感覚」について科学的に説明していた。神経細胞のニューロンの構造、ニューロン同士をつなぐシナプス結合のメカニズムの説明からはじまり、味覚、聴覚、嗅覚、触覚、視覚などの感覚器官の構造の、それぞれの説明だった。

 私はほんとうに驚きながら、興味深くその授業を聞いていた。私が目にしている光景、聞こえてくる音、手に触れるものの感覚などが、ニューロンの発火、活動電位、イオンチャンネル、閾値、というような言葉で説明されうるということが驚きだった。

 例えば聴覚。空気の振動が鼓膜を震わし、それが耳小骨とよばれるちいさな三つの骨を介して、蝸牛へと伝えられる。蝸牛のなかのリンパ液が、耳小骨から伝えられた振動により揺れる。そして蝸牛の内側に張り巡らされた繊毛が海中の藻のように揺れ、その揺れが閾値を越えるとニューロンが発火する。その発火は、シナプス結合されているいくつもの神経細胞をリレーして脳へと伝えられる。蝸牛は渦巻き状なので先すぼまりで、そのどこのどの繊毛が揺れるかを解析し、音の高低も感知している。

 私の身体にもあるこの耳は、極めて精巧に作られた機械のようだった。どの感覚器官も、そのような精巧な機械のように明確に説明され、最終的には、すべての感覚器官は、ニューロンの発火による電気信号を脳へと送っていた。その電気信号を、脳は、鳥のさえずりと受け取ったり、かゆみと解釈したりするが、ニューロンが伝えるのは、あくまでも、ただの電位差。ただのパルス。


 瞑想中、様々な感覚が、身体に現れては消えていった。かゆみや痛みなどは日常生活でも感じるが、そのなかで、瞑想してはじめて経験した感覚があった。それは全身に細かい感覚が均一に現れるもので、まるで風呂にでも入ったかのように心地よいものでもあり、自分が石のようなただの固まりにでもなったかのようでもあった。その感覚を感じている時は、このままずっと時間を越えて座っていられるような気持ちになった。そして一方で、これはニューロンの定常発火だとも思っていた。感覚器官に何も入力がない時でも、ニューロンは常にいくらか発火し、電気信号を脳へ送っていると授業で説明されていた。だから、全身のこの均一な感覚は、きっとニューロンの定常発火だろうと思っていた。

 ほんとうにあの感覚がニューロンの定常発火かどうかはともかく、このような感覚が現れることはゴエンカ氏の講話で繰り返し説明されていた。それはパーリ語ではバンガ(溶解)と呼ばれている現象で、瞑想を続けていれば当然のように現れることなのだそうだ。そして多くの瞑想者が、このバンガをなにか究極の境地だと勘違いしてしまい、今度はバンガの状態を求めて瞑想するようになってしまうのだそうだ。それが瞑想をするものが一番陥りやすい過ちなのだという。

 確かにあの感覚をはじめて経験した時は、すこし驚いた。とても面白いと思った。自分の身体の境界が分からなくなり、どこに手があり、どこに足があり、どこに私がいるのかもよく分からなくなった。まるで無重力状態で宇宙に浮かんでいるかのようだった。全身が均一な感覚になればそうなることは当然なのだが、日常生活ではなかなか経験できないことなので、驚くのも仕方ない。

 この全身が溶解したかのようなバンガの感覚は、いろいろ経験する感覚の中の一つに過ぎないので、そのような心地よい感覚もまた、痛みやかゆさと同じように平静に観察しなさいという指導は、繰り返しされていた。大切なのは、どんな感覚を経験するかではなく、どんな感覚を経験しようとも、それをただ、あるがままに観察しつづけること。


 生体情報論の授業では、それぞれの感覚器官のメカニズムは鮮やかに説明されたが、肝心な、ニューロンの発火による活動電位が伝えられた先の脳が、どのようにして「意識」を持つようになるのか、神経細胞の集まりである脳にいかに「意識」が生じ「私」が立ち上がってくるのかということは、機械の構造を説明するようには説明されなかった。いくつかの仮説は紹介されたが、それは「難しい問題」と名付けられ、世界中の科学者が取り組んでいるのだという。


 ヴィパッサナーは、「感覚」と「私」との関係を、知的にではなく、体験的に理解しようとする試みでもあった。そしてその理解の方法は、ただただ「感覚を、あるがままに、観察する」ということに尽きた。

 感覚とは何なのだろうか。それをあるがままに観察するとはどういうことなのだろうか。
 感覚は、「私」と「世界」の境界にある。「私」は感覚を通してしか「世界」を認識することができない。「世界」は常に変化している。風が、吹いたり止んだりし、雨が降ったり止んだりする。水は高いところから低いところへと流れ、海へと至ると海流となり、太陽に温められると水蒸気となり、上空で雲になり、やがて雨となり地上へ落ちる。「世界」は、常に変化している。それは受け入れたり、信じたりする必要のない、普遍的な事実。

 そして、「世界」と接触している感覚器官もまた、その変化を常に受け取っている。世界の変化を受けて、感覚は常にある。そして「私」は、感覚器官を通して世界を認識している。「私」とは、あるいは「心」とは、生まれてから今に至るまで、感覚器官に生じた感覚に対し、心地よい感覚に対して盲目的に「好き」と反応し、心地悪い感覚に対して反射的に「嫌い」と反応した、その集積のこと。
 もし、そのように反応しないで、心地よい感覚に対して平静でいたとしたらどうなるのか。心地悪い感覚に対して平静でいたとしたらどうなるのか。

 もしほんとうにそうすることができたなら、「私」と「世界」の関係は一変する。「世界」の変化のまま「私」も変化する。風が吹いたら揺れる木の葉のように、春が来たら咲く花のように、「私」と「世界」は切り離されないものになる。「私」は「感覚」という境界を観察することで、その境界を保ったまま、世界の中に解き放たれ、「私」はいなくなる。


 人間と自然の関係。
 十日間座った体験の先に、その関係に対する、新しい希望があるように思えてならなかった。東京のような大都市に住んでいると、人間は自然から切り離されていると思うことが、当たり前になってしまう。自然とは、休日に訪れる遠い場所のこと。人間は、他のあらゆる生き物から切り離され、大地から切り離された、孤独な生き物のこと。

 そのような思い込みに風穴を開けたくて、私は数年前から水源域の写真を撮り始めていた。登山道を離れ、人間の気配のない場所へ入り、沢の中を歩き、滝を登攀し、薮を漕ぎ分け、深い淵を泳いだ。暗くなったら寝る場所を探し、テントを張り、たき火をした。どんどん沢を遡っていくと、やがて流れは細くなり、水が山の斜面からしみだしている場所まで歩いた。

 私は水の流れている光景に魅了されていた。人の気配のない自然は美しかった。自然が、あるがままに存在している光景は、どんな場所でも、ほんとうに美しかった。それに引き換え、国道沿いの沢を歩いているときなどに、ゴミを見つけてしまった時は、それがあまりにも醜いものに思えた。そしてまた、自分自身が、おおきなゴミのように思えることがあった。人の気配のない自然は美しかったが、「私」という人間は、どんなに奥深い場所へ行ってもそこにいた。そして私の内部を覗き込むと、ゴミのような度し難いものがあまりにも多く存在していた。

 そのような思いが高じてきて、やがて私は沢へ行くことができなくなっていった。原初の自然を美しいと思えば思うほど、ゴミのようなものを抱えている私はそのような場所へ踏み込むことができなくなっていった。私は自分が汚れた人間であることを無視できなくなっていた。私は原初の美しい場所に、特に水源域のような最も美しい場所には踏み込む資格のない者に思えた。だから、ヴィパッサナーのコースをとるまえの私は、沢に行きたくても行けないような心境だった。人間と自然の関係に対して、どうしても直面せざるを得ない問いを抱えていた。もう少しで何かが分かるような、もどかしい思いを抱えていた。そのような問いに対して、十日間の経験は、明らかになにかを語っていた。あの時の体験は何だったのか。


           ***


 春になり、桜の花が咲き始めた。冬の間には立ち枯れていたように見えていた桜が、どんどん花開き、光景は一変していた。
 ある日私は真夜中に、川沿いの桜並木の道を歩いた。満開の桜と、五分咲きぐらいのものが入り交じっていた。私は咲いている桜の花に顔を近づけて、じっと見つめた。長い時間じっと見つめ、それからまた歩き、そして別の花をじっと見る。


 この花を咲かせているものは何なのか


 そんな問いが、自然と湧いてくる。歩きながら、その問いを育てていく。春になったら、花が咲く。そのことが私には不思議でならない。この形が、このように現れることが、なぜか、本当に不思議なことのように思える。私は、はじめて桜の花を見るかのように、驚きと不思議さを持って、咲いている花をじっと見ていた。花は、美しかった。そのような花が咲いている世界は、美しい場所に思えた。


 コースをとった後、としくんにメールを送った。彼はインドで四十五日間という長い長いコースをとっている最中だということをセンターで聞いていた。十日間コースをとったあとには、あの密度で四十五日間を過ごすことを思うと、ありえない長さに思えた。
 しばらくしてから、インドにいるとしくんからメールが返ってきた。私がコースを座り終えたことを喜んでくれる言葉のあとに「ブッダが言いたかったことは、ただ「美しい」ってことだと思う」と書いてあった。四十五日間の長い沈黙の後に書かれたその言葉は、ほんとうのことに思えた。世界は、ほんとうは、美しい。ただそのことに気づけていないだけなのではないか。
 そのころ読んでいたある本に、こんな詩が引用されているのを見つける。

 もしこの世に
 本当の祝福
 というものが
 あるとすれば
 いま
 私の
 見ているものが
 それだ
      ローリー・リー  「春のはじまり」 より


 この詩人のことは何も知らなかったが、私はこの詩人が見た光景を知っていると思った。この詩人が見た光景は、きっと私があのとき見たものと同じもの。あの深い沈黙の中で見た、霜のおりた庭の、朝の光景。あるいは桜の花をじっと見つめたときに込み上げてくるもの。

 本当の祝福に満ちた光景は、私の精神に風穴を開けた。私が知らなかったのは、世界の美しさのこと。あの十日間で体験したものは何だったのか、ヴィパッサナーとは何なのか、私にはまるで分からなかったが、何か、本当に大切なことに、手が触れている。そのことだけは確かだった。


 私は再びコースをとることを考え始めていた。もう一度あの完全な沈黙に戻り、座ることを考え始めていた。私は知りたかった。自然と人間の関係を、そのことわりを、世界の美しさを、もっともっと知りたかった。私は自分で見い出したかった。自分の足で探求したかった。もう一度座り、もう一度深い沈黙をくぐり抜け、私は新しい光景に出会いたかった。


 こうして私はヴィパッサナーに出会った。そして私は以後何度も十日間コースを取ることになり、十日間コースを支えるボランティアをするようにもなっていった。それは大きな波のようなものだった。その大波は逆らうことのできないものだった。
 この道を歩むと、世界がそのほんとうの姿を、歩いた分だけ現すように思われた。それは自分の足で歩くほかない道だった。ヴィパッサナーに出会う前に歩いていた道は、出会ってからもそのまま続いていた。私は選択肢のない想いのまま、手さぐりをしながら、この道を歩いていた。
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