二週間滞在したブッダガヤを後にし、カルカッタへ向けて走り出す。 
 走り出して三日目の夕方、私はその日も自転車を停め、夕日に見とれていた。地表付近にもやがかかっているからだろうか、空全体が朱色に染まっている。荒々しいわけではない。それほど劇的なわけでもない。しかし、見とれていた。何一つ見逃すわけにはいかなかった。一生に一度しか見られない貴重なものだという思いがあった。これほど美しい夕日をいままで私は見たことがなかった。
 しかし、昨日もそんな思いで見とれていた。一昨日もそうだった。ブッダガヤを出てから毎日、私は夕方になると自転車を停め、日が沈む様に心を奪われていた。毎日、いままでで一番美しい夕日だと思っていた。
 昨日は橋の上から見とれていた。黄金色の光が川に反射し、小舟で漁をする人々がシルエットになっていた。漁師が操っている網が夕日を反射し輝いていた。濃い赤の夕日と、まだ青さを残している空。雲が、夕日に照らされている部分だけ真っ赤に染まり、反対側は影になっている。小舟が作る波紋がつぎつぎと広がっていく。見とれながら、これはもう完璧だと思っていた。なんだかとんでもないものを見てしまったと思っていた。
 一昨日は森の中だった。もう夕闇が迫っており、泊まる場所が見つからずに焦りながら走っているときだった。ふと振り返るとものすごい赤をした空があった。見てから、振り返ってしまったことを後悔した。一刻も早く今日の寝る場所を確保しないといけないのに、急いでいるときに限って夕日はますます美しい。仕方ないと舌打ちし、自転車を停める。
 後方に暗い森が見渡す限り広がっている。そしてもう光は消えかかっている。しかし、消えゆく光の中心部分は赤かった。今まで見たどんな赤よりも深く、濃かった。暗さを増す森が不気味で、もう本当に急がないと危ないと思うのだが、目が夕日に釘付けにされて動けない。
 今日の夕日はカルカッタまであと三十キロの地点からだった。空気が湿気を帯びているからか、空が全体的に薄い朱色に染まっている。丸い銅板のような夕日が、朱色の空をゆっくりと沈んでいく。朱色の薄いグラデーションがとても愛おしい。こんなに繊細に変化する空の色をいままで私は見たことがない。コントラストは強くないが、階調の変化は比類ない。これこそが本当の夕日だという、静かな確信があった。道端にチャイ屋があったので自転車を停め、チャイを飲みながら夕日に見とれた。そして飲み終えたら再び自転車にまたがり、カルカッタに入っていった。真っ暗になってからサダルストリートにたどり着く。

 サダルストリート近辺にはいくつもの安宿があり、世界中から旅行者が集まっている。私が泊まった宿のドミトリーは広い三部屋がつながっており、そこに二段ベッドが敷き詰められ、四十人ぐらいが寝られるようになっていた。旅行のシーズンになってきたからか、常にほぼ満員で、入れ替わりも激しく、私は実に多くの人たちと出会うことができた。そして私は、留保なく、間断なく、出会った人たちと話していた。誰と話しても楽しく、どんな話でも聞きたかった。一つの出会いは常に次の出会いへと連鎖し広がっていった。そんな連鎖が嬉しく、またそんな連鎖は途切れることがなかった。黙々と一人で自転車を漕ぐことで耕していた場所から、出会い、話すことにより、次々と発芽し成長していくものがあると感じられていた。出会いの連鎖は樹のように枝分かれしつつ伸びていき、急速に成長していった。

 多く話せば話すほど、別れ難くなるのは仕方のないことだった。
 ある日、多くの言葉を交わした人と別れた。早朝に別れ、もう二度と会うこともないのだろうなと思いながらカルカッタの町を歩いていると、なぜか路上で手を差し出している人たちの姿が急に目に入ってきた。地べたに寝ころんだりしゃがんだりし、手を差し出している人たちの一人一人に目がいった。そして、この人たちは誰なのか、私はどうすればいいのか、今まで無数に見続け、あれほど見慣れていた光景のはずなのに、分からなくなっていた。私は初めて見たときのような混乱を感じ、いくつもの差し出される手を前にして途方に暮れていた。
 そして気がついたらアメリカンセンターの前を歩いていた。つい数週間前に爆弾テロが起こった現場だった。このテロのことはバラナシにいたときに聞いていた。アメリカ人が数人亡くなったのだという。亡くなった人の写真と花が建物の前に飾られていた。そして建物の入り口には、歩道にはみだすように鉄条網が張られ、土嚢が積まれていた。数人の兵士が銃を水平に構え、道行く人に向けていた。
 アメリカンセンターの前を通り、ここだったのかと思い、どうしてこんなことが起こってしまうのかと思い、気がついたら込み上げる感情をこらえていた。あわてて通り過ぎてから立ち止まり、うつむいて体のふるえを抑え、落ち着くのを待つ。それからまたアメリカンセンターの前に戻り、遺影の前で手を合わせ、近くの路上に横たわっている人に数ルピー渡す。

 朝六時に起きる。六時半に宿を出る。七時にマザーハウスへ行き朝食をとる。それから午前中は身寄りのない老人の施設プレムダンへ行く。午後はカーリーガート、通称「死を待つ人の家」へ行く。私は友人に誘われるままに、マザーテレサの施設でボランティアをすることにしたのだった。
 施設へ行き、洗濯をして、掃除をし、老人たちのマッサージをする。食事の時間になれば食事を出す。自分で食べられない人には手伝う。後片付けをして終わりとなる。プレムダンでもカーリーガートでもだいたい同じだった。
 施設にいる老人たちは、以前は道端で物乞いをしていたか、極度に貧しい境遇で働きづめに働いてきた人たちなのだろう。マッサージをしていると、ある老人などは本当にすばらしい、ほれぼれするような足をしていた。細く締まり、まったく無駄がない。足の裏は靴底のように厚くなっていて、画鋲を踏んでも痛くもかゆくもないだろうなと思えるほどだった。またある老人はひじとひざの皮が異常に厚くなっていた。四つんばいで路上で物乞いを何十年としたのかもしれない。
 施設でボランティアをしている人たちと話すのもまた楽しかった。私のようにその気はなかったのに何となくやりはじめている人もいるし、毎年時間を作って来ている人もいた。世界中から、様々な背景を持って来ている人たちと、毎日仕事が終わってからチャイを飲みながら話していた。

 私は日中はマザーハウスへ行き、夜は出会った人たちと話すということを繰り返していた。様々な人たちと話し、世界中の旅の話を聞くことができた。そして多くの人と話しながらずっと、これからどうするのかを考えていた。
 カルカッタから先、ミャンマーの陸路国境が閉じているため、飛行機に乗らざるを得なかった。私はどこへ飛び、これからどういうルートを走るのか、ずっと悩んでいた。
 日本はもうそれほど遠い場所ではなかった。しかし私は、日本に近づけば近づくほど、日本から遠ざかっていく気がしていた。私は旅に深く魅了されており、このままずっと旅を続けていたいと思っていた。この旅を私は、いちばん遠い場所から帰る旅として始め、それを支えに続けていたが、いつしかその想いが根底から揺らいでいた。私はもう一度、そして決定的に、日本のあの社会を自分から切り離したいと思っていた。
 両親に宛てて考えていることを書きメールで送った。父からの返信に驚いた。父もまた三十年前のカルカッタで岐路に立っていたと書いてあった。大学を休学してヨーロッパを旅し、バスでアジアを横断し、カルカッタまでたどり着いたときに悩み、そして戻ることを決めたのだという。カルカッタから日本へ飛び、二年間の旅を終えたと書いてあった。
「カルカッタは不思議な街です。息子も同じ所で、同じように自分を見つめている、自分の能力と意欲とを測りかねていると考えると、人生の不思議な巡り合わせと思えてきます。」
 そうメールには書いてあった。
 父はこの街で、三十年前に、一体何を決断したのだろうか。想像しながらカルカッタの街を歩いた。そして歩きながら、私は父のように帰ってしまわず、このまま旅を続けようと思い続けていた。しかし日本へ向かわないとするならば、一体どこへ向けて自転車を漕げばいいのだろうか。隣の国バングラデシュも面白いと聞いた。南インドも魅力的だった。アンダマン諸島へも行きたかった。シンガポールへ飛んでから、インドネシアを半年ぐらいかけて旅してみたかった。ミャンマーもぜひ行ってみたかったし、東南アジアも隅々まで旅したかった。中国の雲南省や東チベットもすばらしいと聞いた。アジアを旅したあと再びヨーロッパで働き、お金を貯めたらサハラ砂漠をラクダで旅したかった。ザイール川を丸木舟で下ってもみたかった。北中南米も行きたかった。北欧もロシアも中央アジアも行きたかった。カルカッタから先、いったいどこへ向かえばいいのか、日本へ向かうという制約を取り除くと、急にあらゆる選択肢が浮上してしまい、どうしたらいいのか分からない。これからどうするのか考えながらカルカッタの街を歩いているとき、手を差し出している路上生活者が目に入ると、なんて贅沢な悩みを、なぜこのように悩み、どうして決めかねているのか、腹立たしくなったが、たとえそうであってもこの状況が消えたりはしなかった。

 私はマザーハウスでのボランティアを続けつつ、あらゆる人と、一日中時間がある限り話していた。一つの出会いは次の出会いを生み、それが途切れることなく続いた。私は話すことに夢中になり、出会いの連鎖が次々に作っていく新たな出会いに積極的に身を任せていた。
 それはほんとうにすばらしい日々だった。あらゆることが次への伏線になり、示唆になり、きっかけになっていると感じられた。そして、気がついたら一人の女性に出会っていた。
 
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